Netflixオリジナル作品

【ネタバレなし】社会的能力を混乱させる演技は必見!『宇宙を駆けるよだか』

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あらすじ

ある日同じクラスの根暗ブス「海根然子」と、きれいで明るく人気者の女の子「小日向あゆみ」の中身が入れ替わってしまう。
困惑しながらも体を取り返すため情報と仲間を集め、戦う。

原作は少女漫画で、映像の本作にもジャニーズのイケメンが登場したり、やや男のカットが多いが、基本的に外見とは?、内面とは?、をテーマにしていて誰でも(ブスでも可愛くても、イケメンでも、ブサメンでも)見れる。

伊集院光が絶賛

伊集院光がブス役の子(富田望生)の演技を絶賛していたことが視聴のきっかけ。

あらすじで述べたように可愛い子(小日向)とブス(海根)が入れ替わってしまう話なのだが、小日向は性格もきれいで海根は性格もブス、というところがポイント。
要するに何が起きるかというとブス×性格美人でブスが綺麗に見えてくる、というところだ。
富田望生は言葉ではなく、凄まじい演技力でそれを表現している。

非言語コミュニケーション

実際見てみると、本当にすごかった。
どちらがどちら、ということがよくわからなくなっていく。
同じ外見でも中身が変わり仕草や明るさが変わると違う人間に見える、ということを理解した。

中身が違うというとその人の記憶や会話…言語・社会的コミュニケーションによる変化を真っ先に思い浮かべ、これまで飽きもせず繰り返し出てきて思い出したように流行してきたような、もはや定番と化した表現を繰り返す泡沫の入れ替わり作品では繰り返し描かれてきたわけだが、この作品ではそうではない。
非言語な、より視覚的な変化を強調している。
その中身の変化は登場人物ではなく視聴者も認識できる。

私たちは仕草や表情で個人を特定する、歩いていて後ろ姿だけで知人がわかるときがある。
敏感に認識し差異を捉える能力を社会的生物である人間は持っているのだ。
また普通の会話でも視覚的なコミュニケーションの割合は思っている以上に高いという。
遠くから動きで個人を区別できる能力があるのだから当然かもしれない。

しかし、しぐさは無意識にやっているし、見分けるのも無意識だ。
ああ、今日は首の角度がいつもより2度傾いてるな、とか、この人は右足を踏み出すときに左手首を内側に撚るクセがあるな、とか思わない。

要するに非言語で入れ替わりを表現するときに何が問題かというと観察力、表現力、演技力だ。
それも非常に細かい部分で、モノマネなんかより長い時間やらないといけない。
当然実写でしか表現できないので、人力でやるしかない(少なくとも、2018年現在では)。

この作品は役者の驚異的能力でそれをクリアしている。
私たちは視覚的に人間を見分ける能力がある、といったが、確かにそれがあることを感じられる。
同じ外見でも、しぐさで全く違う人間だと理解できてしまう。

普段、特に同質性が高く言葉が通じる日本社会では非言語コミュニケーションが重視されることはないのでなおさら―そんなことを体験することはないので、すごく変な気分になれる。
騙し絵を観ているとき、みたいな。

それを体験できるだけで価値がある作品だと思う。

必然性

今までそういう非言語コミュニケーションを押し出した入れ替わり作品がなかった(あったのかもしれないけど、知らない、少ない)と思う。
日本人はジェスチャーをしない、下手くそだというのと関係しているような気がする。

歴史的に必要性がなかった。
言葉や常識が通じ、ほとんどは話し合いで解決できるので動きは必要ないし、注意を払う必要もない。
当然今でも同じで、当分変わることはないだろう。

だからこういう非言語なコミュニケーションを意識的にやった作品が日本放映でなくてNetflixオリジナル作品として制作されることは当然かもしれない。
重要なのは必要性で、作ったのは日本人でもたぶんいろんな国の人が監査や審査するだろう、誰にでも伝えるためには?言葉ではなく視覚的な演技が何より重要だ。

Netflixは全世界に放映する。
ちなみにこの作品は字幕が5カ国、音声が3カ国ある。
内輪ネタなんかは一切なく、誰にでもわかる演技の素晴らしさや外見への主張はどの国でも伝わることだろう。

日本向けか世界向けどちらが優れているかではなく必然性の話だが、今までとは全く違う、新しい傾向の才能を持つ人が生まれていくだろうと思う。

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