社会派フィクションで、よく「日本はもう既に機能不全を起こしており、社会を一度徹底的に破壊するしか再生の道はない」という論調でテロやクーデターを起こし、国の意識を変えようとし、国家転覆を狙うことがある。
だいたいの物語の結論としては、そういう主張にも一理あって、破壊してすべて解決したいと共感できるところもあるけど、やっぱりよくないよね、となることが多く、テロリストの試みは頓挫することが多い。テロは最悪の、最後の手段であり、相当に社会が逼迫しないことにはテロ成功で終わる物語が納得感をもって受けいれられることはないだろう。
『オールド・テロリスト』
村上龍『オールド・テロリスト』は、社会変革を目論むテロリストをルポする記者の話なのだが、この話におけるテロリストはなんと70代〜90代である。
あとがきいわく・・・
その年代の人々は何らかの形で戦争を体験し、食糧難の時代を生きている。だいたい、殺されもせず、病死も自殺もせず、寝たきりにもならず生き延びるということ自体、すごいと思う。彼らの中で、さらに経済的に成功し、社会的にもリスペクトされ、極限状態も体験している連中が、義憤を覚え、ネットワークを作り、持てる力をフルに使って立ち上がればどうなるのだろうか。
そんな彼らの思想を象徴しているのがオビの一文。
年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない年寄りは静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ” なかなか衝撃的。
確かにどの年齢層が一番強いか考えてみれば老人層だ。
若者はカネも気力も社会への興味もなく、中年は社会に嵌めこまれ死にかけている。そして両者は生命的な選別・危機も、劇的な社会変動も経験していない。
あらすじ
出版社でリストラに遭い、妻子にも逃げられた中年男セキグチは以前の上司の連絡により、テロ予告を受けたNHKへ取材をしに行き、テロに遭遇する。
頻発する不可解なテロは、職のない若年層が起こし、主張もバラバラ。
タイトル・挿絵からして結論は想像がつくのだが、実行犯は若者で関連性が見えてこない。
リアリティのある世界
『オールド・テロリスト』における日本社会は限りなく現実に近い。
サリン事件も起こったし、東日本大震災も起こり、渋谷の無差別殺傷事件も起こっている。
そして企業、製品、地名と実際にある固有名詞が多く登場し、リアリティがある。
元々『文藝春秋』に連載されはじめたのが2011年なので、そこから分岐した、一種の5分後の世界(=パラレルワールド)といえるだろう。
そのようなリアルな世界でのテロは、身にこたえる。
生き方指南書として読む
村上龍の小説では、作品内でメンタル面での比較がされることが多い。
例えば、『5分後の世界』の「小田桐」は5分後の世界の日本人の強さに驚いていたし、『愛と幻想のファシズム』では鈴原とゼロの強さ弱さは対照的だった。
この作品では強い老人が描かれる一方、セキグチや、若い仲間のメンタルは非常にひ弱に描かれている。ちょっとしたことがあるとすぐめまいがし、クスリや酒を飲みまくり、言動も不安定になりがちだった。トラウマにもなりやすい。特に後半になると顕著になっていく。
仕事を首になったことや、妻子に逃げられたことがトラウマとしてあり、現代社会において経済力、家族がいかに強く自信を持って生きていくために必要なものかを示していた。力がないと、生き延びることは難しい。
ジャーナリズムという理想さえも、個人生活の充実がなければ達成することができない。男のあらゆる基盤となるのは経済力、仕事、家族であり、その希求が薄まるとともに、サバイバルできない男も増えていっているのが、現代社会だ。
『オールド・テロリスト』は、社会変革の話がメインと思いきや、現代の若年・中年層の個人が向き合う課題・危機感を描くとともに、いかに社会をサバイバルしていくかを、老人・若者・セキグチを通して鮮烈に主張する。