あらすじ
『限りなく透明に近いブルー』は自伝小説なのは有名だが、いかにしてそのような状況に陥ったか、その周辺事情について映画がもたらした影響と共に書かれている。
1970年当時のヒッピー文化の様子を垣間見ることができる。
『69』は高校時代の自伝だが、その2、3年後?に『限りなく透明に近いブルー』に書かれたようなことを体験することになる。
2つの作品はだいたい時系列が同じで本人がモデルになってるが、状況は大きく変わっている、その間を埋める作品。
いかにして作家になったのか?
いかにして私と同じくらいの年齢の男がレアな体験をし作家になるのか?には大いに興味があって、なんとなく納得はできた。
作家になったのは本当にそれしかしなかったからで、とよく本人は本に書いているが、本当にそう見える。
若き村上龍は溺れるようなドラックやセックス、ヒッピー…などの体験を小説化し、金に換えることに成功した。
最低の体験であれ極端な体験や状況は、文章にできるかは別問題として価値がある。
また、単純に経験を金に買えただけではない。
出会いのなかでの様々な気づきや無力感、最低ラインを知ったことはその後の伝えるモチベーションや大きなテーマになっている。
強烈な体験や無力感が人を変えたり危機感を切実なものにし、特殊な才能を開花させるのかもしれない。
そういうのがない人間はどう生きていけばいいのか…。
自己満足にならないように、やっぱり努力するしかない。