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ビミョー:進撃の巨人

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進撃の巨人

流行

亜人』と続き〜人シリーズ第二弾、というわけじゃないが、Netflixでアニメ『進撃の巨人』を見た。
初めに感想:人気といわれるほどおもしろくない。

周りがおもしろいおもしろいといいながらしばらく経っての視聴。
こういうことってよくあるんだよな、流行に乗れずに周回遅れでやることって。
主に金銭的な問題であることがほとんどなのだが(新刊や新品は高い)、最近その価値(流行費)はあるような気がしている。
しばらくすれば安くなるのにバカだなと思っていたが、多くの人が金を払うのにはそれなりの理由があるのだと最近思うようになった。

詳しくいうと、流行費を払えば、それをネタに人と会話できる権利を得ることができる。
なぜなら歴史上の作品群を空間と時間で考えると、膨大な数になるが最新のものに限定すれば二次元になり、共通する空間が出現する確率はぐっと高くなるからだ。
共通する知識空間というのが人間が語る上で最も重要な要素・・・。その最たる例は言語である。
ということで、ちょっとは流行追いかけてみようと思ったのであった。

設定のいろいろ

『進撃の巨人』は巨人によって人類が地表のごくわずかな部分しか支配できていない世界で、人間が巨人に反撃する物語・・・である。
少なくともアニメ一期、二期見た時点では。
となると「進撃」するのは人間だと思うのだが、いろいろあるのだろう。
さっきググったときに、タイトルの意味判明!みたいなタイトルのページがあったから、ちゃんと回収されるのでしょう。
ああ!
ここでも流行周回遅れの弊害が・・・。回収された伏線を不思議だななんていうやつ。
さんざん議論され尽くしているのに、同じ内容をさも自分が考えついたようにいうやつ・・・(オレだ)。

話を戻そう。時代設定は中世、近世といったところか。鉄道は存在していない?
・鉄路は存在する(壁の上に設置された大砲)が、機関っぽいものが見当たらない。
・電気は存在しない。
・ガスはある(立体機動装置)
・銃はある
大雑把にいうと、『鋼の錬金術師』みたいな時代設定。
個人的には、中世の時代設定ってあんまり好きじゃない。
いかにも作品内で対抗場をなくすための設定、みたいな感じがしてしまう。

例えば『進撃の巨人』では巨人を倒すのに立体機動を使っているが、これは全く蓋然性がない。
あんたらホントに巨人に勝つ気あるの?と思ってしまう。
ホントにその方法が倒すのに一番効果がある方法なんだろうか?
あんな強力なワイヤーやモーターがあればほかの用途で使ったほうがいい気がする。
中世だからっていう理由で許されている設定だ。

不自然な制約は、不自然な物語の流れ、蓋然性のなさをむき出しにする。
そうするとこれは人に作られた物語なのだということを思い出して萎える。
基本的に物語は 現実のある一部分だけ 条件が異なる対象実験のようなものであって、変えた条件のほかは現実に限りなく近いものでなければならない。

・・・まあいろいろいったけど、中世の知識がないのも物語臭くさせる要因だろう。
要はどうすれば中世っぽいなんて誰も知らない。

笑いポイント

意外だったがのが、ギャグシーンがかなり面白かったことだ。
シリアスなところであくまでマジメに、ギャグをぶち込んでくるのがすごくよかった。
訓練でイモを食ってるシーンの教官の顔なんて傑作だった。
結局イモ食ってた彼女はアニメ二期終了時点では生き残ってたな・・・。
結論:ギャグキャラは強い。

かわいい

サービスか、意外と女性キャラが多い。兵士にそんなに多く女性がいるわけないだろとまた蓋然性のなさで萎えるのであった・・・。
まあもちろん 超かわいい んですけど。でも、シリアス成分・蓋然性成分は確実に失われるだろう。
うん、アレでしょうね。かわいい女性登場させないと売れないというマーケティング戦略なんでしょうね(適当)。
多くの層を取り込むためにいろんな要素をいれるほど、各要素は薄くなり、おもしろくなくなっていくのかもしれない。
もう一度いいますが、 超かわいい んですよ。

亜人と対比してみる

最近見たアニメ『亜人』との比較。
蓋然性という面では亜人は非常に自然だ。
なにしろ主人公はラスボス(面識がある)倒す気が全くなく ラスボスが暴れている惨劇をテレビでお茶飲みながら見ていた くらいなのだから(あとからある出来事でやる気を出した)。
主人公だけでなく、社会の動きと個人の動きも合理的説明がいくものだった。
また、敵がいかなる方法でも倒せないという描写がすごくて、警察・自衛隊・亜人があらゆる方法を試して、徐々に絶望感が高まっていった。
そしてそれを上回っていく主人公。とてもよかった。

また、『亜人』には女性キャラがほとんど出ないのも違う。
おっさんばかりだが、そこにリアリティが生まれる。
戦っている女性(特に華奢で美しい女性)を見たくない。
本当に戦っているのは、吉田沙保里みたいなやつなのだから、自然ではないのだ。
本当に強さを求めて鍛錬し、戦っている女性に失礼なんじゃないか。
作品に出てくる戦う女性はあんな細くて戦う気あるのか?というのがほとんどだ。
現実は厳しいから作品に求める、という理屈もわからなくはないがそんなのはただの空想で十分だろう。
鑑賞したいのはもっと高度に緻密に組まれた、現実そっくりだけど何か現実と違う空想だ。

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