あらすじ
太平洋戦争で日本が降伏せず、地下に潜伏しゲリラ戦を続けUG(アンダーグラウンド)と呼ばれて存在した世界。
日本の人口は26万人まで激減しているが、高い技術や軍事力で世界からの注目と尊敬を集めている。
『5分後の世界』と同じ世界で、同一人物も一部登場する。
前作は日本が降伏した世界で、私たちが生きている世界から迷い込んだ小田桐の目を通して5分後の世界を描き現代日本の強烈な批判をしていたが、今回は異なる時空世界との交錯はない。
CNNのアメリカ人ジャーナリストが語り手となって、「ヒュウガ村」付近で発生し、高級リゾート区「ビック・バン」に猛威をふるウイルスを鎮圧するため派遣されたUG軍兵士に同行する。
科学的資料に基づいた、緻密な設定
ウイルスが主題ということで、生化学的な専門用語が非常に多く出てくる。
現実で置かれた状況をウイルスや細菌で例えたり、逆にミクロで難解な生化学事象を現実の出来事に例えたりと、科学的事実と小説の高度な融合は、村上龍お得意のものといえる。
最後は、「危機感」をキーワードとして直接訴えかけてくるのが強烈だ。
作中やあとがきで強調されていたように、科学的なことには意志や主体がなく、単なる現象で客観的で擬人化は意味がない。
ウイルスや細菌や重力や電気が意志を持っているわけではない。
だから、科学的になろうとすればするほど、主張やメッセージを伝えにくくなる。
科学的でなければダメ、と言っているのではない。
〜の器官が意志を持って反乱(『パラサイト・イブ』)し化物に、みたいなのは虚構とわかるが、それっぽく書かれていると知識がないので私はたぶん見破れない。
ただ技術力、難易度の高さの話をしている。
現実の知識に基づいた物語が必要なのは、主題、伝えたい情報が「危機感」だからだ。
危機感にはリアリティが必要だ。
凡百のほかの主題であれば、ここまでの緻密さは要求されない。
ジャーナリストを通してある集団を語る―『オールド・テロリスト』との最大の違い
ジャーナリストに優れた集団を語らせるというのは『オールド・テロリスト』でも見られた。
ジャーナリストなら誰でもよく交換可能で、優れた集団に驚き、恐怖、怒り、疎外感を感じ、単なる中立の傍観者ではなく生死を間近に感じ、何度も審判にかけられる姿に読者は共感する。
ただし、今作のジャーナリスト「コウリー」と、『オールド・テロリスト』のジャーナリストである「セキグチ」は対照的である。
コウリーに別れたが文通はしているボーイフレンドがいて、比較的若く、世界で初めてUG内を報道するという野望があり、CNNという職があり、戦地を報道し誇りもある。
一方セキグチは離婚してから妻と娘とは一回も会えず、中年で希望がなく、週刊誌も臨時に採用されただけで、仕事に誇りが持てず、そもそも伝えるべき情報がわからない世界で、精神安定剤を常用している。
安定を支えるような仕事、誇り、人間関係がないと、人間は脆く崩れることを示す、対照的な二人だと思う。
最も洗練された破壊
特定の層への怒りが、エクスタシーを伴った大破壊につながるのは、多くの村上龍作品のお約束ともいえる。
基本形は危機感だが、亜種としてさまざまな規模のものがある。
危機感がないものは死ね
弱いものは死ね
進化を止めたおばさんは死ね
祭りは死ね
歩道の自転車運転は死ね
などバリエーションがあるが、特定の地域をターゲットとした無差別なものも多かった(自分にふりかかる可能性を考えさせれば目的は達成される)。
今作はずっと手の込んだ、個別の生き方をそれぞれ問う破壊なのが、特徴的だろう。
最も洗練された破壊、といえるかもしれない。
殺伐とした5分後の世界でのウイルスの発生を描いたのは、現代日本だとあまりにも生き残れる人間が少ないからだろう。