あらすじ
1985〜87年の世界テニスの大会を回り、現地でのテニスを語るエッセイ。
テニスと、海外での贅沢な生活のことを書いている。
クソエッセイ
序章を読み終わった時点で今まで読んだ村上龍至上最強のクソエッセイ認定をしてしまった。
とにかくつまらない。
ただ専門用語を並べて観たことを書いているだけだ。
そこがいいのかもしれないけど。
私はプロテニスを全く知らないし、1985〜87年なんて生まれてもいない。
選手を知らないし完全海外で知らないことばかりだ。日本人は登場しない。
サッカーエッセイのほうはサッカー知識がなくても面白さは伝わってきたし、サッカーを通して見た世界や日本、といった解釈は面白かったのだが、こっちは全く面白くない…。知識量や年はたいして変わるわけでもないのに。
ほかの人の意見を見てみよう。
Amazonに★5のレビューが1つあったので見てみると、選手の様子が伝わってきて面白かった、らしい。
当時を知っていて、テニスの知識がないとたぶん楽しめない。
結論…時事性があるものは流行の内に楽しむべきだ。
そして賞味期限が切れたものに対して口を出すのは間違っている…。
自慢は必要
テニスに関する内容はだいたい面白くない。
ただ、豪華な外国生活の様子は読んでいて想像力を掻き立てられるというか、そういう世界があるんだ、と知れる。
要するに自慢話なのだが、誰かがしてくれないと貧乏人は想像ができない。
狭い世界にいると想像力も、いつの間にか狭まっていくものだ。
お金持ちは、そういう豪華な世界を知っているはずだが、豪華な体験を大っぴらにすることは妬みを買い、不利益になると知っているので体験を公開しない。
そして快楽と動機の格差は知らないうちに拡がっていき、経済格差も大きくなっていく…知らぬは貧乏人だけ…。
包み隠さず自慢してくれることも、ときには必要だと思う。