幼少時は初めての連続である。
何もかもが新鮮で強烈で、刺激的で時間はゆっくりとすぎるように感じる。
幼少時に日常的に接する人間は限られている。
親、兄弟、…くらいか。
当たり前だが仕事やバイトはしないし、買い物に行くこともなければ授業に出ることも、趣味の囲碁を近所の友人と打つこともないし、近所の主婦と立ち話をすることもない。
幼児には友達もいなければ(何歳からできるんだろう)、上司や同じシフトのパートのおばちゃん、顔見知り、先生、ママ友もいない。
だから家族(親)との関係だけが、幼児の人格形成に大きく影響を与えるとも言える。
大きく影響を与える親。
親は何を最優先するのだろうか?
小さいときから教育を、と言う。そうしないとグローバル社会で生き残っていけないらしい…。
最も基本的なことは、ある人にとっては当然で、ある人にとっては全く当然でないと思うが、可愛がられる、大切にされるということだ。
実際のところ自分の代わりはいくらでもいるし、上位互換の人間なんてたくさんいる。
自分に価値があると思い込まないと何もやってられないのだが、可愛がられることで価値がある人間だと思い込める。
信頼は社会の基礎になっている。
実際はないけど、全員が思い込んでしまえばものすごく便利になる。
貨幣制度、金融、法律、倫理…。
可愛がられるというのも、そういうものの一つなのだと思う。
村上龍『THE MASK CLUB』では、SMに興じる7人の女たちの一人の脳神経に侵入し(!)、過去を見るという独特の視点から行動を分析している。
いい女の条件は、経済的社会的に強い父親から可愛がられることなのだ―。
というのは村上作品頻出キーワードであり、いつもとは違った視点から検討していくことになる。
あらすじ
書店員の「わたし」は、彼女のミキがプレイを行うマンションで殺された。
が、なぜか「わたし」には意識があり、記憶があり、聴覚や視覚がある。
幽霊、あるいは小さい無視のような存在で、わずかな風で飛ばされる。
現実世界に何ら関与することはできないが、ミキたち7人の女たちがマンションの一室に集まって行われる奇怪な行動を観察する。
そのうちに彼は誤って集まった女の一人であるサラの眼球に飛び込んでしまい、脳神経に到達し、彼女の記憶を覗き、奇特な集会の理由を知る…。