村上龍 読書

漠然とした「幸福な家庭」の終焉と新しい家族観を示唆する!『最後の家族』

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あらすじ

引きこもりの息子・秀樹、援助交際する娘・知美、不倫する妻・昭子、リストラされる夫・秀吉、…内山家は家族全員が問題を抱え崩壊寸前だったが、それぞれが出会う人物やイベントによって、自立を果たしていき、家族の認識を変化させていく。

会社がサラリーマンを庇護し経済力のある父が家族を庇護するというモデルは崩壊し、未だ残る漠然とした幸福な家庭のイメージは空疎なものでしかないことを伝え、新しい家族、個人のあり方を示す傑作。

ドラマ化された作品

『最後の家族』は2001年にドラマ化して放送された。
単行本は9月出版、ドラマ化は10月なのでドラマの脚本として書かれたと思われる。
同じイベントをそれぞれの家族の視点から描き直すという文章構成も、映像化を前提としていると考えれば納得だ。
同じような構成に『KYOKO』があるが、映画化されている。

また今作において、違う視点から描くことは家族でも受け取り方は全く違い、結局は他人であり理解し合えない家族、をよく表していたように思う。
理解し合えないのは当然だが、あまり意識されてはいないし、一丸となることがいいことのように思われている。

自立していく家族を見事に描く

家族は別々のことに出会っていく。
秀樹は引きこもる中で隣家のDVを受ける女を目撃し、知美は元引きこもりの男と出会い惹かれていき、昭子は若い男と不倫しカウンセラーを受けるうち引きこもりに対する専門的知見を身につけ、秀吉はリストラされ変わっていく家族に翻弄される。

一番大事なのはそれぞれの自立だ、と主張する。
社会が家族を覆い、家族が各個人を覆う…というのは旧来の考え方で実情と合っていないので問題が出ている。

現実的な理想の家族とは、自立した各個人が家族を作ることしかない。
誰か他人が問題を解決するということはできず、自分で解決するしかない。
昭子や秀吉は秀樹に対して、何ら有効な手を打つことができなかった、彼ら自身が自立していなくて他人は救えないということが理解できなかったのだ。

見事だったのは、それを秀樹が直面した問題であるDV被害者と重ねて、悟った場面だ。
DV被害者は自分で助けを求め、解決しない限り居場所がなく、元の場所に戻り問題は解決しない。

だから、他人が助けるということはできない…という専門的知見を交えたナルホドな解説を弁護士から受けるのだが、考えてみればあらゆる問題はそうなのだ、家族であれ…。
問題の本質を実に端的に示しているのだが、それを秀樹自身に認識させるまでのリアリティがすごい。

放送されてから17年が経つが、現在も家族が目指すべき方向、モデルみたいなものは弱くはなったものの、変わっていないように思う。

変化に一番対応できないのは父

家族の中で最も情けないのは父・秀吉だった。
悲しいくらい時代や家族の緊急事態に対応できない。
彼のなかの「一緒にご飯を食べる」などの曖昧な理想を強制していたことが引きこもりなどの問題を生み出した面もある。
変化は遅く、ほかの家族の自立、変化に合わせて、最後に変わった。

また、妻の不倫は全くバレず、疑ってすらいない。

村上龍がよく主張している消耗品である男の悲しさ、が具体的に示されていると思った。

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