読書

科学的な「一流」の分析

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はじめに

「超一流になるのは才能か努力か?」という本を読んだ。
そのタイトルの通り、どっちなのかを追求した本。文中では「努力」であると主張している。
天才エピソードのいくつかを科学的に分析、努力の結果であるとしているのもおもしろい。
ちょっと持ってるの見られるのが恥ずかしいタイトルであるが、前に何かの雑誌で紹介されていたのを思い出して、図書館で借りてみた。
結構新しい本で、2016年7月が初版のようだ。
雑誌以外で、新しく出された本を読む機会がない(カネがないので)から、なんか嬉しい。
割とよくこういう本は読む方なので(そのたびに、あまり成果は上がってない。悲しい)、まあ一過性のものに終わるのかも、でもまあ一瞬だけでもいいかと思って読んでみたら、オレ自身が変われるかは別にして、かなり科学的、論理的な内容で非常にためになり、方法論も普遍的に応用できると感じた。

才能

才能という言葉には気をつけようと思った。

文中であるように、単純に生まれ持った、あるものごとをうまくやれる能力などないのかもしれない。にわかには信じがたいが。
というのも、実験と、天才エピソードを紐解くと、納得感があるからだ。

特にIQに関する記述は興味深かった。例えば、IQとノーベル賞受賞者に相関はない、とか。詳しくは本文で読んでみてください。

その代わり、辛い練習を耐えられる、そういうのが才能と呼ばれるものの実体かもしれない、というのがこの本のしめくくりだった。

なんか前にコロコロコミックでそんなこと言ってたマンガがあったな・・・と思った。子供心にクセーな、とおもってたけど案外的を得たものだったのかもしれない。

ホントに、科学的に解明しているから、説得感がある。
論拠は実験に基づくものが非常に多い。
また、巻末には25ページのソースノート(引用元?)がついていて、その論文っぷりが伺える。

自身に応用すること

本を読んでいて、才能がないから、とか、もう年を取ってしまったら、といって諦めることのナンセンスさはよくわかった。
そして、一番重要なのは理論に基づいた練習だということで、ちょっと元気が出てくるのだが、それ以上に重くのしかかってくるのは、人や生まれもった才能の不備のせいにできないことへの責任感?だ。
確かに、自分が普段使うような言葉の意味で、生まれ持った才能というものは存在しないということは非常にナットクしたのだが、じゃあオレってなんなんだろう・・・。
解決策が示されていて、理論に基づいた学習(文中では限界的練習といわれている)をやればいい、ということなのだが、オレは尻込みしちゃったね。
そんな自信がない。
練習を続けるための習慣でさえものにできず、日々だらだら遊んでしまう人。
そういうのも、工夫だということなのだろうが、キツイねえ・・・。

もちろん、 とてもいい本、今まで読んできたどんな本よりも科学的な本で、信用に足るということはいえる
だが、その真実がオレにとってキツイものだったということ・・・。

悲しんでても仕方ない

まあ悲しんでも仕方ない。
この本を読んで、オレは上達する方法を手に入れたのだ(実行できるかは別にして)。
特に文章を練習していきたい。
今までただ一日でも多く記事を書こうということで書いてきた。
これだけでは週末テニスプレーヤーレベルにしか上達しないようだ。
うん、確かに書いてから全然うまくならない。書くのが早くなった気はするものの。
とにかく伝えたいことをうまく文にできない。論理的にならない。
よく意味が飛ぶ。接続詞がつながらない。
リアルでの会話でも割と指摘されるが、言葉足らず。悪いとこがわかってるから、それを直せばいい。
「上達が伸び悩んでいるいるとき、原因となっているのはそのすべてではなく、ほんの一つか二つの構成要素に過ぎない。」は本文中のことば。

よって、何かコンフォート・ゾーンから離れるような要素を組み込もうと思う。
文中に書かれていた、ベンジャミン・フランクリンの行った練習法をそのままやってみよう。
具体的内容は、本文中で確認してみてください。

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