私見

子がバカになる現象はネットで加速される

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ネットと世代

塾に行かせているのに中学3年の息子の成績が悪い、ということを叔父に相談された。
いわく、勉強の方法がわからないのではないか、教えてやってくれとのこと。

塾に行ってるのだからそれはない気がしますが…。

別の機会に当の息子に聞いてみると、平日は昼〜夜まで塾に行き(夏休みだから)、
夜は朝方までスマホをし午前中寝て塾に行く生活を送っているという。

そこらへんに理由がありそうだが、そのことは親に伝わっていないようだ。

まあ個人的なことはわからない!本人次第!ということで今回はそのことはスルー。

それよりもネットの利用について手探り状態の今って、
後の世代と結構格差が生まれるのでは?と思ったので書いていく。

IQは下がり続けている(フリン効果)

データで見るネットの教育への悪影響!としようと思ったが、
もとから人類全体で1975年ごろからアタマが悪くなっているらしい。

20世紀前半、人類のIQが着実に上昇を続けていたことをフリン効果と呼んでいたが、
1975年をピークに成績は下降を続けているという。

ある側面からしか測定できないテストの問題点も指摘されるものの、
ネット関係なく基本的に人類の頭は悪くなっているといえる。

ということで今回は知能的な問題ではなく、
ネットが習慣面に与える悪影響について考える。

インターネットが習慣形成能力獲得を阻害する

インターネット接続の機器やゲームは、
プレイヤーの動作に対して光、音で瞬時にわかりやすく刺激し反応を返す。

人のあらゆる行動は動作と報酬がリンクされ、快楽を得るために動く。
そのために「やる気」が生まれる。

デジタルはその速度が非常に早くわかりやすく、確実性があるため依存症になりやすい。

例えば「ドラゴンクエスト」でレベルを上げるときプレイヤーが
やっているのは指先を動かす単なる作業に過ぎないが、
強い敵が出てきて、レベル上げをして倒す達成感を味わうと
もっとやりたいと思う。

そしてさらに強い敵が出る。自分が強くなる。
その繰り返しだ。

短期間のアメ(強敵を倒す)とムチ(強敵登場)でやる気を絶妙にコントロールし、ついつい長時間やってしまう。

一方従来の人の愉しみ、例えば読書や映画、演奏、執筆、友人、恋人、…は、長期間の取り組みと忍耐を必要とする。
長期的な取り組みは同時に訓練の意味もあり、自信となり人生のほかの面で応用させていける。

培った長期的な忍耐力、長期的快楽を追求する力は、
一見無意味なことを長期的に見て、意味を見出していく力を育む。

長期的に意味があることを直感的に感じるには、
成功体験が必要になり、ない場合は不安で続けられなくなったり、失敗する可能性が高い。

ゲーム、SNS、ネットサーフィン…無数の妨害がある現代では、それに抗する、
長期的利益を追求する習慣の技術が何かをなすためには重要だが、それを身につけられず、
目先のことしかできなくなる可能性がある。

ゲームは努力・試行錯誤があれば問題ない

問題は短時間でカンタンに満足感を得られて、それに満足し、忍耐力がつかないことだといえる。
そういう意味ではゲームは世代によって意味が異なる。

基本的に初期の家庭用ゲームやアーケードは超絶むずかしく理不尽だ。

例えばファミコンやゲームボーイの「スーパーマリオ」は子ども向けとは思えない難易度だ。

少ない容量で時間をかけさせようとしているから、難易度は上がる。

攻略に際した情報もなく、自分で試行錯誤するか友達にでも聞くしかない。

理不尽な難易度や展開で、努力と忍耐力が鍛えられる、といえた。

しかし、現在は攻略サイトを見ればすむ。
リアルタイムが必要なところも動画をみてしまえばあっけなく解決する。

それを足場にしてより高い技術を生み出していけばいいのだが、たいてい壁にぶつかれば見て、
自分でその通り実行するだけだ。

その繰り返し。

何を隠そう、最近の私のゲームプレイなのだが。

イライラと浪費、忍耐力のないプレイは感動も生まなくなった。

攻略を見ない!と決めていても見てしまう。

容量の充実、競合するほかの個人的娯楽の登場でゲームの難易度は下がっており、
攻略情報は充実している。

ゲームに求められるのは不快な試行錯誤ではなく、体験…というゲームも増えている。

よって、単なるゲームクリアを目的にしたプレイは達成感を生み出さない。
何か別の縛り…などをする必要があるかもしれない。

ネットとの付き合い方が確立しないまま成長する今の世代は過酷

私も含めた今の世代は罠がたくさんあるなかで、
社会での役割を期待されている。

一部の人はすごい才能と創造性を発揮するのだろうが、
大多数にとってはネットは単なる罠だ。

ルールが変わってるが、ネットの文化や技術、付き合い方に教育制度や親がついていってない。
人類全体で試行錯誤している段階なのだから当然だ。

一方であと何年もすれば、インターネットに関する研究が進み教育や心理学、人文、分野へと広がっていき、
人類はインターネットの「使い方」を学んでいくだろう。

ネットは放任主義=野蛮となる日がくるかもしれない。
武器にできる人も増えていく。

そのとき、私達はどうなるか?「パソコン使えないおじさん」が駆逐されたのと同じことが、
人生のかなり速い段階でおきるのではないか?

ゆとり教育とは異次元のレベルで、世代でけなされる気がする。

子どものときからデジタルがあり使用に長けているからといって、
総合的な人間能力が優れているわけでなく、むしろ劣ることになるだろう。
このままだと。

実際的な対策

じゃあ学問・データではっきりしない今のところ、どうするかというと、とりあえず子どもとのネット使用の取り決めは必須かと。
決めなきゃ虐待認定としてもいいかもしれない。

単に自己責任とするにはあまりに致命的なところに行き着く。
今のうちに考えておきたい。

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