私見

熟達した表現力は根本的寂しさを解決してくれると思う

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今すぐみたい!と思うような紹介

10月1日放送の伊集院光「深夜の馬鹿力」で、NETFLIXオリジナル作品『宇宙を駆けるよだか』の魅力を伝えているのを聞いて、今すぐにでも見たいと思った。
「入れ替わりもの」で、美人と入れ替わった性格美人外見ブスの演技がすごい!と主張していた。
上の要約は当然ものすごく乱暴だ。これで見たい!と思う人間はいない。
実際の放送ではネタバレなしで物語の背景を要約し過不足なく伝え、情景が思い浮かぶようになったところでその素晴らしさを伝える。結果、すぐにでも見よう!となる。

まだ見てないが近い将来見ると思う。

伊集院がものすごい話術を持っているのは今さら言うことでもないのだが、私は今ちょうど村上龍全作品のレビューをしている途中で、無能感に襲われる。
何かの作品を読んで、感想を書いたり他人におすすめしようとするということでやっていることは同じ(はず)だが、次元が違いすぎて凹む。
言葉に関する技術の圧倒的違いは言うまでもないのだが、1ミリくらい近づいたんじゃ?と感じるくらいには時間と手間をかけてきた。

むしろ努力したり勉強したりするほどに、すごさがわかる、その差は大きくなっていくことがある、そういうものだとプラス思考する。
たぶん居酒屋で自称サッカー(野球でも可)通のビール腹中年は実況見ながらテレビの前で説教垂れるが、現役の選手は多くを語らないのと同じようなことだ。
自らに技術と体験がないとその差もわからない。ちょっとでも勉強するとすごさがわかっていく。

私はどうせ全作品読むならレビューも書いて記録に残そう、ということで書いているのだが、そういう目的で書かれたものに価値はない、ということをむざむざと思い知らされた。
伝えたいことが明確ではなく、理解させる努力がない文章には価値がない。

伝えたいことありきではなく、作品ありきで書いていることがそもそも間違いの元だ。
書かないと多分上達しないと思うので書いてるわけだが、恥をもっと知るべきだろうと思う。
またそういうエクスキューズを抜きにして、本当にいいと思う作品やおすすめできる作品についての文章でも、他人がそれを読もう!となることはないだろう。
自覚はしている。

自分でも読み返したくないのだから。

言葉を扱う名人への憧れ

尊敬する人物とか憧れる人物はリアルでも偉人・マスコミの人でもほとんどいないのだが、話芸であれ文章であれ言葉を自在に扱い、伝える意志と能力を持った人を強く尊敬する傾向がある。
伊集院光、村上龍、ナンシー関(一時期ハマッた)、みうらじゅん(最近)…。

ほかの尊敬する傾向としては、たぶんかっこいいとかいい音楽とか映画を作るとか、不屈の精神力とか破天荒とか、素晴らしい研究をしたとか、まあその人それぞれ興味がある分野に対してのものがある。
その中で私は言葉に関するものが多い、ということだ。

たぶん読書が好きだったり会話にコンプレックスと違和感があるからだろう。
違和感は、例えばくだらない会話をなぞったり意味のないことを話し笑い合うことが普通の健全なコミュケーションとされているようなことだ。
でも意味のあることや本質的で切実なことをどう表現したらいいかはわからない。
意味のない会話はさんざんして、疲れたし、根本的な寂しさを解決してはくれない。

入り組んだことを説明して共感を得たり理解してもらえるのは、たぶん快感だと思うし寂しさから抜け出せる可能性がある。
だから言葉で表現する技術をモノにしたい、と思うのだが道は遠い、だが方法は一つだと思う、伝えたいことを意識して書き続けることだ。

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