私見

「コミュ力」は表面的にうまくいっているように見せる能力のことである

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「コミュ力」がある人間は尊敬され、ない人は軽蔑されると感じてきましたが、そもそもコミュ力とは何なのか?について考えました。

本来の意味と、日常生活での使用の意味

「あの人はコミュ力が高い」

日常生活で使われる、「コミュ力」という言葉の持つ意味は実に曖昧だ。

当然「コミュニケーション能力」の略語ということは誰でもわかるのだが、定義を見たわけではなく、それぞれがなんとなくの尺度と意味で使っているし、ほかの人も使っていて意味が通じているように思っている。

社交性が高く積極的に人に話しかける人や、知らない人と早く打ち解ける人を見たときに、コミュ力が高いと言ったり、自虐ネタとして「コミュ障なので…」と言うのを見ることが多い。

自虐ネタの場合はたいてい本気で思っているわけではなく、人とコミュニケートする前の予防線であることが多いのだが。

Wikipedia的には、「他者とコミュニケーションを上手に図ることができる能力」である。
会話などの対面だけでなく、書くことなど、コミュニケーションすべてが含まれる、伝える能力だといえる。

一方で日常生活での「コミュ力」の場合、伝える能力というより、いかに円滑に会話を進めるかが重視されている。ここが、意味が決定的に異なる。

例えば、意見やバックグラウンドの違いを明確にせず対立を生まない、当たり障りのない一般的な会話をする、楽しくもないことで声を出して笑う、…コミュニケートしているというよりは、「対立なく、共感し、楽しそうにしている」を周囲に示すことを重視している。

特に同じようなバックグラウンドを持つ人があつまり利害の対立がなく、違うことをすると目立ちやすい地方では顕著だ。

定義がすべてで、今の使用は誤用だからやめるべし!などと言っているわけではない。
ただ、曖昧で、人によって意味が違うことを認知せず使っていることを指摘したいだけだ。

思えば、流行語はそんなものだ。
「インスタ映え」で象徴されるような画像の特徴を言える人が何人いるだろうか?単に綺麗な景色というだけでインスタ映えといい、なにか面白いことを言った気になっている人間のいかに多いことか!

コミュ力という言葉自体が曖昧な意味=コミュ力が低い

よって、コミュ力という言葉の意味自体が曖昧で、正確に意思疎通できているとはいいがたい。
曖昧な意味の言葉を用い、言葉の認識の違いがわかっていないので、皮肉ではあるが、正確な意味での「コミュ力」は低いといえるだろう。

この言葉は企業の採用でも使われる。
コミュ力が高い人優遇、というように使用するわけだが、仕事なので意思疎通のスキルな部分の比重が大きいと考えられ、本来の意味に近いと思うかもしれない。

が、意味が広すぎるのと、一般的に使われる意味との混同のために、実際に何が求められているのかはわからない。
一般で使われるような「コミュ力」は空気を読み、忖度でき、責任を曖昧にするが、まさに典型的日本企業に求められている人材だ。

やはり企業でも、「コミュ力」はいいように使われている。この4文字で理想の人材を表せるのだから案外便利なのかもしれない。

結論として「コミュ力」は表面的、建前、忖度といった日本的文化に、疑いなく自然に馴染めるかを示す指標であるといえる。
少なくとも今の日本社会に生きている限り、この指標は重視されるが、違いを認識し意思疎通ができるかとは別問題であり、対人関係の一部を測っているにすぎないことに注意しなければならない。

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