私見

自制しない文章はおもしろい

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練習しないと書けない

小学生や中学生のとき、読書は好きだったのだが、作文は大嫌いだった。
なので読書感想文はもちろん後回しで、いやいや書いたものはよくわからない出来になっていた記憶がある。
ただ原稿用紙4枚を埋めるということもなかなかできなかった。

高校になってからは、なかなかそういう長文の、制約が少ないものはなくなって、できるだけ短くまとめることが求められることが多くなったので、読書感想文的な苦しみは少なくなった。

練習しても書けねえ

そして大学生になって、あるサイトで、誰でもブログで稼げるという記事を見つけ、ブログをやりはじめた。
それから半年くらいで100記事は書いたのだが、Emacsのorg-modeでHTMLにエクスポートしたもので構築されていたので、チョー面倒だったのでWordPressでやることにしたところ、この便利さに震撼した。
そして今年4月くらいからこのブログで書いているわけだが、まあアクセスがない。
誰も見てないってわかってるから気軽に書けるわけだが、不安だ。
まあいろんなサイトには、最初の〜ヶ月はアクセスゼロは当たり前的なことが書かれているから、それを信じているのだが、ほんとに大丈夫か・・・?

もしかしたら特別な文章術とかネタ選びとか、文章の一定のレベルが必要なのであって、それを自分は満たしていないのではないか・・・と思う。

がそれでも書くのは、記事を書き続けることによって今は一定のレベルに届かなくても、次第にレベルに届くだろうと考えているからだ。
しかし、書き続けていても、いっこうに上達している感じがしない。

後から見ると意味不明だしおもしろくないし、しかもこれで結構時間かかってるんすよ?
自虐じゃなくて、マジで。

うまく練習しないと週末プレイヤー

だから『超一流になるのは才能か努力か?』での例、週末テニスプレイヤーが上達しない現象を見た時、ぐさりときた。
週末テニスプレイヤーが上達しないのは、弱点を意識・改善することもなく、コンフォートゾーンに甘え、漫然と楽しんでいるからだ・・・。きつい。

だが同時にだいたいの解決法も発見することができた。
具体的な解決法と、上達しないときにどうすればいいのかという指針だ。
具体的な解決法は、語彙力をつけるということ、そして上達しないときの方針としてはただ同じことを続けるのではなくて、練習方法を変えてみるということだ。

村上龍もエッセイ『すべての男は消耗品である。』で上達には科学に基づいた練習が必要だ、ということを言っていた。
プロには共通したものがあるのかもしれない。

自分を主役にした文章を書く

そしてオレに足りなかったと思うものがあと一つ。
それは自分で書く文章や、インプットに対する考え方だ。

それを得たのは・・・
超有名ブロガー様、かんちき氏の「わかったブログ」で紹介されていた、『人を動かす文章術』 から。

かんきち氏のブログ

一番衝撃的だったのは、自分を主役に書く(=エッセイ)ことで、独自性が生まれるということだ。
オレは逆に本を主役にしてしまうことが多かった。

確かに、おもしろい人の話とかは独自の視点で切り込んでいて、それは人を主役にしているということだ。
たとえばラジオでの伊集院光(深夜の馬鹿力)、みうらじゅんが思い浮かんだ。
特に「ほぼ日刊イトイ新聞」でのインタビュー記事のみうらじゅんなんて、まったくインタビューにまじめに答えてないしね。
全部うまく自分の体験とかに持って行って、うまく着地させている。
インタビューワーも最初困っているのだが、次第にノッてきて、話が超上手い人ってのは相手の話もうまくさせるんだなと思った。

文章において凡庸さは恥、「毒にも薬にもならない文章」

また、上は、『人を動かす文章術』で印象に残っている強烈な言葉。
たしかにびびってたかもなあ・・・。
おもしろくないのはこの視点か?
ということで、オレは自制しない、と決めたのであった。

たしかに自制しない文章はおもしろい、たまにほんとに危ないヒトもいるけど。

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