あらすじ
イシハラをはじめとする社交性ゼロの6人の冴えないコンピュータおたくの男達と、おばさん集団「みどり会」が偶発的に接触し、血の抗争が始まる…。
おばさん論
孤独に満ちた若者であるイシハラ達に対するのは、みんな「みどり」という名前のおばさん達(みどり会)だ。
イシハラ達が病理的で孤独なのに対し、みどり会はそれぞれに問題を持ってはいても、家族がいたり、社交性があったりしてノーマルな、どこにでもいるおばさん達だ。
おばさん達は妙にリアルに描かれている。
村上龍はなぜおばさんに詳しいのだろう?
妙にリアルなおばさんの生態が描かれることはほかの作品にもあった。
例えば短編集『空港にて』だ。団地の主婦たちの、外からはわからない微妙な物理法則や、力学の変化を描いていて、主婦も大変だなとか、道端会議をしているおばさん達を見る目が変わったのを覚えている。
詳しいのは取材をしているからだとして、じゃあおばさんの生態調査のモチベーションは何なのか、という疑問はあった。
ドラッグ、セックス、若者、精神肉体的強さ、サバイバル、…そういったものが物語の小道具として多く登場するなかで、おばさんはそのどれからも遠い存在に見える。
終盤の「ハセヤマゲンジロウ」の言葉が参考になる。
おばさん達は、難しく言うと、進化するのを止めた生きものなんだ、若い女はもちろんのこと、若い男も中年の男も、子供だって、進化しようという意志をなくすとその瞬間におばさんになってしまうんだ、それは恐ろしいことだよ、誰も気付いていないが、恐ろしいことだ
この意味でいうと、物語前半のイシハラ達とみどり会は間違いなくおばさんだが、後半は訓練と知識を積んでいた、どちらもおばさんではなかった。
おばさん批判と思いきや、実はおばさん化する若い男批判。
おばさんそのものではなく進化するのをやめた人間がおばさんで、そういう人間が増えていることを物語を通じて揶揄している。
イシハラとノブエ
イシハラとノブエは、『半島を出よ』に登場する。イシハ何があったのかはよくわからない。いきなり詩人はやや唐突すぎるので、ほかの小説の登場人物になっている?ラは相変わらずだが詩人として有名になり、かなり偉くなり、重要な役割を果たした。
今作と『半島を出よ』には時間的にひらきがあるが、間に何があったのかはよくわからない。いきなり詩人はやや唐突すぎるので、ほかの小説の登場人物になっている?