私見

依存を止めるにはまず自覚することから始まる

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ゲームも依存症

厚生労働省の依存症についてのページを見ていると、私にとってのゲームが依存症だと思うようになった。
まず最初の質問、Q依存症ってなに?
ーA特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです、とある。

うん。そうかもしれないな。

そして、最後らへんの文章が示唆的だ。
「依存症を考えるときに大事なのは、そのことによって本人や家族が苦痛を感じているのかどうか、生活に困りごとが生じているのかどうか ということです。」

ああ、当てはまるぞ。

最初の質問は、何かに熱中している人なら、例えば偉大なスポーツ選手や学者なんかも感じていそうだから、別に問題にはならない、むしろ人は積極的にそういうものを見つけて行くべきだと思う、暇だから色々余計なことを考えてしまう。

重要なのは最後らへんの文章だ。

そうそう苦痛、感じる。
不定期に、一気に20時間くらいプレイしたいときが、ある。
ブームは短く一週間くらい続けばいいほうだが、ゲームをした後は苦しく、自己嫌悪と後悔に苛まれる。
もっとも感じるのは直後だけで、またしばらくしたらやってしまうのも病的だ。

ちなみにWHOからもゲーム依存は疾患と認定されたらしいが、アレはオンラインがメインで、オフラインのゲームについてはなぜかあまり言及されていない。
インターネット中に流布している「インターネット依存症」という言葉も、たいていはオンラインに重きが置かれていて、オフラインのことは問題になっていないように見える。
おそらく、社会性を大きく奪うからオンラインがより大きな問題になっているのだろう。
引き込もりや生身の人間と接していないということを忘れさせるのが危険で、わかりやすい廃人を生み出す。

私の場合そこまではいかないかもしれない。
が、苦痛を感じることをついつい自分の意志と離れたところでやってしまう、というのがたぶん精神的習慣としてよくないし、働く時間や、考える時間を奪われることになる。

考えることはなくなり、今まで軽蔑してきた年ばかり重ねた人間になってしまうことだろう。

依存症と認識することは、大切だと思う。

喫煙者と話していてよく、こいつ依存症だと気付いてないな、ということが多い。

例えばどこで聞いてきたのか定番のセリフで他人に吸わないほうがいい、ということをよく聞く。
他人におすすめできないことをやるくらいには自分の習慣を嫌と感じているが、自分は止められないと吐露し合理的でないと言っているわけだ。

そういう人間は受動的でつまらない人生を送っている。
まだ吸え、最高だよと言っている人のほうが生き方としてかっこいいと思うが、時代のせいか?ほとんどいない。

「すごいプレイ集」はどうなのか?

最近、食事中にYoutubeでゲームのものすごいプレイ動画集、的なやつを見ている。
『ドラゴンクエスト8』(今さら)や『ダークソウル3』のタイムアタックとか、縛りプレイとか。

暇つぶしとして面白い。

彼らはどうなのか?
彼らの人物像は当然、それぞれでひと括りにはできないが、金はほどほど、時間はたくさんある若い男、ゲームの趣味を活かして、動画制作を始めた人…と仮定しよう。

計算し、工夫し、情報を得、試行錯誤し、動画を編集して面白くしている姿は立派だと思う、私の逃避的なゲームプレイとは比較にならないほど積極的で、作品性がある。

…才能と時間の浪費だ。
それが褒め言葉になるような屈折的解釈があるが、本当の浪費だ。意味がない。

まあ見て楽しんでるから何も言えないんだが、それは暇つぶし程度の意味だし、代わる娯楽はいくらでもある。

能力がある人間でも、方向性と戦略がない、やることがわからないの極地はこれだ!の象徴だと思う。
なまじ人が認めてくれているように感じるから、抜け出すことができないのかもしれない。

「オンラインな依存」ってこういうのも含まれたりするのかも?と思ったりした。
ネット文化な金銭の発生しない曖昧な賞賛は、勘違いを生む。

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