私見

対人関係のモチベーションを得る方法

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内向的な人間ほど、ゲームや読書などをして独りで過ごすことを好む。
私は人と話す必要性やモチベーションがなく、ソロプレイの大学生活を楽しんできた。
周りの人間は息を吐くように自然に人間関係構築にモチベーションを持ち、時間と労力を多く割いているように見える。
不思議に思っていた。

「一人の作家の著作をすべて読み書評を書く」、「株価を追い予測するための情報収集の方法としての会計の学習」、などの目的・目標を定めた読書や勉強、アウトプットをしていると、ふと人との関係性を構築するモチベーションを感じ、人と話したくなる瞬間があることに最近気付いた。
そのあと人に連絡して、実際会ったりする。以前にはなかったことだ。
面倒くさくても大変でも、関係構築や人と会うことに価値を認めて労力をかけられるだろうな、と予感する。
独りを静かに楽しんでいるが、なんとなくこのままではいけないという気持ちがそもそも私にあったのだろう、モチベーションが湧いてきたのは素直に嬉しかった。

今まではどうだったのか?というと、ゲーム、読書、ブログ、…目的のない漠然とすることをしていても社交性につながることはなかった、それで悪いとは思っていないがなんとなく不安があったのは事実である。
長期的目標と目的を設定した行動は社交性を生む、といえるかもしれない。それがなぜなのかを、説明していく。

なぜ明確な目的を設定した行動をすると社交性が生まれるのか?

他人との関係性は豊かに生きる上で必要なものである。
しかし過去の体験や社会的理由によって関係構築のモチベーションが自然に沸かない人間もいる。
私もそういう種類の人間で、どう社交のモチベーションを獲得するかは重要なことだと思う。

以下「自信」「価値のある情報のシェア」「積極的休憩」という3つのポイントから「なぜ明確な目的を設定した行動をすると社交性が生まれるのか?」について説明していく。

自信が生まれるから

明確な目的を設定しそれを達成しようと思うと、好きなことでも忍耐が必要になる。
いかにあいまいに好きだと思っていたかがはっきりする。

たとえばある作家の本をすべて読みすべてに書評を書くという目標と、ひとりの人間が人生で徹底的に考えたことをトレースし人生の一つのモデル・評価軸を設定するという目的を設定したとする。
その作家がいかにいい作家だとしても、たぶん代表作を読んでそう思っていただけで、全体として見ればクソつまらなかったり意味不明だったり、異常な分量や冊数だったりして、いかに読書やその作家が好きでも、大変なのは間違いない。

自分の好きなことで目的を立てたはずだが実際に行うのは難しく、労力がかかる。
どう達成するか具体的に考え実行することは自信になり、自分が相手にとって交際する価値のある人間だと思える。
従来の社会であれば、幼少期の親との関係とかそういうもので自信はついていたと思うが、今はテクノロジーによる究極の個人主義の時代だ。
金がなくてもインターネットに娯楽の選択肢は無限にあるように見える。
Youtube、ソーシャルゲーム、SNS、フリマ…。
インターネット業界のあらゆる企業は、いかにユーザーが自分のサービスに時間をかけてもらうか躍起になっている。
しかし時間は有限でゼロサム。
個人のリアルでのやりとりも侵食され、明らかにリアルの個人間のコミュニケーションも競争に晒されている。
若者の〜離れは時間の争奪戦の結果で、自然の成り行きだ。

目の前の人間にスマホを優先されたりすることはよくあることだが、自分の優先度が低く競争に破れたということである。
無力感を感じず、他者に関与したいとそれでも思えるためには強い自信が必要で、それは何かに裏付けされていないといけない、と思う。ふつうの人間ならなおさらだ。

自信は自分が設定したものを自分で達成する必要がある。
上から与えられたものを忍耐と努力で達成する、というのでは自信にならない。
なぜなら個人間のコミュニケーションの必然性はお互いなく、自分で意味を見つけないといけないからだ。

専門的知見をシェアしようと思うから

明確な目的の元に何かを深く知ろうと思うと、学問の垣根なく知らないといけないことが増える。
たとえば「廃道」を知ろうと思うと、まず法律でいう「道路とは」に始まり、管理者、補助金制度、経済効果や、橋やトンネルの構造、災害のメカニズム、安全な探索技術、地形図・衛星写真・郷土史の調べ方や見方、…に精通しなければならない。
専門的知見なしには、観察することもできず、廃道の雰囲気を楽しむしかできないかもしれない。
雰囲気だけだったら他人に伝える価値はゼロだ。

調査の結果興味深い事実が明らかになることもあるし、思わぬところで身近な景色が一変したりすることもあるかもしれない。
あるテーマに沿って調査・編集されたには価値があり、聞いていて面白いことが多い(身近なものだと特に)。
ややこしく興味深いことを労力をかけ、伝え理解されることはよろこびだと思う。
コミュニケーションするには、自分がコミュニケーションに足る情報を持っていることが必要だと思う。
「コミュ障(コミュニケーション障害)」という言葉には会話スキルさえあれば人と話せるのであって、根が暗いわけではないというニュアンスがあるが、必要なのは会話スキルではない。

積極的な休憩を必要とするから

ある目的への行動はたいてい地味で孤独で、時間がかかり、首と頭と腰と目が疲れる。
その割には体全体の疲れがなく頭は冴えて眠れないことが多い。
だから一区切りつくと外出をしたくなる。
独りで行ってもつまらないので誰かと行こう、と考える。

メリハリはおそろしく地味で、時間がかかることをやりフラストレーションを溜めることの反動で生まれる。
フラストレーションは外出の母。
たとえばゲーム(プロは除く)なんかだと映像や音楽があり苦労や頭を使うことはなく、かといって最高の体験ということもなく、生殺しのフラストレーションのまま、延々と続くことになる。
だから外に出ようとは思わない。

-私見

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