村上龍 読書

作品は変わらないが、作家は年を取る

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読者は同じ著者の作品を時間軸的に自由に行き来でき、作家が年を取るということを忘れがちだ。
作家の作品を通して読んだ場合、年を取ったことを明らかに感じるときがある。

どのように変わるのか?ということを村上龍『星に願いを、いつでも夢を』に見ていこうと思う。
メンズファッション誌Men's Joker(2015〜2016年)で『すべての男は消耗品である。』として連載されたエッセイ集で、基本的に若者に向けて、仕事、経済、身の回りのこと…について書いているエッセイである。

作家も常に変化している

作品は形として変わらず残るが作家は年を取り、傾向も変化する。
どこが変わったのか、
・より若者への興味がない
・個人的なところに触れる
・自身の写真を掲載している

という点に着目して見ていく。

より若者への興味なく、客観的な指摘をしている

イライラせず静かに客観的に指摘し、静かな印象だった。
それまでのエッセイでは何かイライラしているという感じが強かった。
時事ネタに対して鋭い指摘をしたり、日本社会の暗黙のルールを指摘していたりした。

今回のエッセイでは時事ネタは少ない(書く気が起きないらしい)。
経済的、社会的にこれから働き、生きていこうとする人は大変だということを多く伝えているが、別に同情的になっているわけでもなく、怒っているわけでもなく、ただ淡々としている。
嘆くわけでも同情するでもなくといった部分は変わっていないのだが、突き放すような、別に若者に興味なんかないけど、の部分はより強くなったと思う。
おしゃれなメンズがキメ顔をしている雑誌にこのエッセイが連載されているのを想像するとちょっと笑えるが。

年を取る、特にある程度上の年になる、ということは何かが大きく変化するのだろうと思う。
これまでの作品から読み取れるなかでは年齢で作品は当然変化しているが、基本的にエッセイは同じトーンだった気がする。
変わったのは一人称が変わり丁寧になったくらいだと思う。

新たな小説はどのようになるのだろうか。

個人的なところに触れている

内容の新しい傾向もある。
エッセイのなかで女、車、酒といった切り口で過去を振り返っている。
そういった個人的、日常的なことについて書くことは過去のエッセイではあまりなかったと思う。
村上にとっては何十年も前に書いたことでも、私にとっては1ヶ月前で新鮮なのだ。
若い頃のエッセイと回顧を比較してみるといろんなことがわかる気がする。

自身の写真を掲載している

エッセイ中にはなぜか村上龍の写真集みたいなものが挿入されている。
作家に写真は必要ないので今まで当然少なかったが、還暦になってから自分の写真を掲載するようになったのはなぜなのだろうか?
たぶんチャレンジングになっているのだろう。

謎の散髪をしている写真があり、そのときでさえ壮絶な感じがする表情をしていてなんだか笑える。
本文中で述べられているように、豊かな髪である。
壮絶な表情はよく指摘している、日本人の必要のないところで笑ったり、意味のないことにニヤニヤするところ、笑わなければいけない圧力と戦っているようにも見える。
いかにも気難しそうで身近にはあまりいてほしくないが、本で見る分にはいい…。

(追記)ひとつ前のエッセイも、写真の感じが似ていた。場所も同じホテルの一室。写真以上に本文がより老けたような感じがする。

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