安い自慢
自炊の話題で話していると、いかに自分の自炊生活が安くおいしく済ませているか?を主張してくる男がいる(女の子の料理話は聞きたいが)。別に聞いてないのに。
どこで安い材料を買っているか、どうやって調理するか、ということをオレ、お得な情報伝えてるだろ?という具合に話してくる。
一人暮らしならやらざるを得ない死活問題で、それぞれに工夫とこだわりがあると思うのだが、方向性として、費用対効果を訴求してきて、違和感。〜がすごくウマい!というのはわかるが…。
原材料を安く買い、料理の手間をかけて食事を安く済ませているというのは別にお得でもなんともない。
時間と金銭的余裕のある人間ならまだしも、若い学生にとっては自炊に時間をかけるなんて時間とエネルギーと資源の浪費だ。
安い=いいこと…貧乏くさい
安く済ませる、費用対効果、ということにいかに絶対的価値を置いているか、ということを象徴している気がする。
普通は高いことがいいことだと思う。車は軽自動車よりもスポーツカーのほうがいいし、家賃2万のボロアパートより200万の高層マンションのほうがいいし、100グラム10円の得体の知れない肉より100グラム3000円の松阪牛のほうがいい。
が、豪華な話は回りであまり聞かない。
無自覚な、身の丈にあった貧乏くさい話ばかりだ。聞いていて暗鬱とした気分になる。
そういうことは人に話す価値がない。価値観の逆転が起こっている。
これから先の人生で、中古のボロの軽自動車を買って、いかにそれが費用対効果が優れているか自慢するようなやつと会うような気がする。家でも肉でもなんでもそうだ。
別に軽自動車を買うことが悪いことではない。根本的原因はカネがないことなのに、無意識に優れた選択肢をしている!と思い込もうとしているのが気持ちが悪い。
が、根本的問題は解決されていないから、声高に、聞いてもいないのに安くおいしく優れている!と主張するのだろう。