あらすじ
世界の精神安定のためのシステムが構築された近未来―。
ミミ、モニカ、ハチの3人の若者と、異星人ゴンジーは偶然出会う。
ゴンジーは世界の精神安定を担う巨大企業ドアーズ・ファミリーとその研究者に狙われる…。
独特の雰囲気
暗鬱さはいっさいなく、明るい。
精神安定の画期的発明「Tリング」も、やってることの割に全く深刻さはない。
展開もポップというか、ギャグのようだ。
スーパーマンのようなゴンジーがいて、敵である悪い研究者が、それを利用しようとして、いろいろ画策する。
ストーリー、描写、挿絵すべてが明るく少年向けの作品のように感じる。
ほかの小説やエッセイでは見ることがない雰囲気だったので、意外だった。
あとがきで、「ほぼ2年間、この原作小説と脚本を交互に書き続けた。言葉が映像を侵食しないように、私は小説のスタイルを変えねばならなかった」とある。
映画向け、ということだろうか?
『限りなく透明に近いブルー』の映画版は、原作と対照的に妙に明るいものだった。原作者と監督が同じなのになぜ?という人も多かったらしい。
映画と小説に関して、ポリシーの違いがあるのだと思う。
何を象徴しているか、あまりよくわからない…
何がいいたいのか、よくわからない、というのが正直な感想。
Tリングあたりはもっと掘り下げてくるか、と思ったが特になかった。
村上龍の小説は主題となる社会的テーマや、主張がはっきりしていていることが多い。
現実にある問題をリアリティと具体性をもって言語化し、誇張し、危機感を与える。
『半島を出よ』で参考文献が掲載されていて、大量の本が参考にされ、それで異様に細かい現実の動作として描写され(ノンフィクションのようだった)、リアリティがあったことに納得した。
まず伝えたい情報が先にあり、そのあと物語が専門的知識をもって肉付けされている、というパターンがほとんどだと思う。
『だいじょうぶマイ・フレンド』には専門的知識とSFの融合による説明があり、ファンタジーというわけではない。ほかの作品と同じように科学的事実をベースにしている。
ただ、平和的に明るくて、楽しくて、何がいいたいのかよくわからなかったのがほかの村上龍作品との違いだ。
明るさや楽しさは充足していて、危機感を感じさせ、何かを伝えるには向きにくいのかもしれない。
何もかもわかりやすい意味、込められた意味や主張が必要だと言っているわけではない。
こういう小説もあるんだ、意外だ、と書いているだけだ。