いちスポーツ選手の一瞬のプレーが、見るものに感動を生むことがある。
多くの人はそれを期待して、スポーツを観戦するが、人生が変わることはない。
逆に人生を変えるような出会いやイベントというのは、そういう期待があるわけではなく偶然に、不可解なタイミングで起きてしまう。
村上龍『走れ!タカハシ』では、広島カープのタカハシ選手を媒体に、人生が予想外に変化する瞬間を科学的に描いている。
あらすじ
高い打率、走塁で活躍する(した)カープのプロ野球選手、高橋慶彦。
バックグラウンドの全く異なる無関係の11人の唯一の共通点は、高橋慶彦(タカハシ)。
彼のプレーが、11人の人生にどう影響するのか?を描く短編集。
うまく仕掛けられたシチュエーション
11のエピソードは、一見タカハシと関係が全くないように見えて最終的にピタッと合う。
うまく仕掛けられたシチュエーションから、タカハシという軸と予想外に関わり物語が反転する、それがこの作品の魅力だ。
いかにタカハシと関係がなさそうな状況か、スポーツでは救えなさそうな状況かという前提があってはじめて、影響を与えたときの快感が生じる。
そしてその快感を再体験するために次のエピソードを読み進める…という流れができる。
以下
・無関係さ
・シリアスさ
・リアリティ
という点で、シチュエーションがいかによく構築されているかということを見ていく。
無関係だから
それぞれのエピソードは語り手が高校生だったり引きこもりだったり小説家だったり、殺人犯だったり、しっかり者だったりとバラバラだ。
別に野球が好きではないことも多い。
この唐突な無関係さが、次はどうやってタカハシが関わってくるのだろう?と興味を与える。シリアスだから
基本的にどの語り手も個人的にシリアスな悩みを抱えている。
そんなときに、別に趣味でもないプロ野球の選手が影響を与える可能性は限りなく低い。
まして救われたりするなんて…という前フリを演出している。
リアリティがあるから
どの話もリアリティがある普通の人たちが主人公だ。
とりとめのないことを考えて、ごく個人的なことで悩んでいたりする。
だから短編でコロコロ語り手が変わるにも関わらず、スムーズに没入できる。
反転するオチ
この作品のオチは、
・予測不可能
・コミカルさ
という特徴があり、オチと相反し、それが落差を生じさせ快感を生んでいるといえる。
予測不能
エピソードを3つくらい読み終わるとああ、そういう趣旨の文章なのねということがわかる。
しかし、タカハシがどう関わってくるか予測はつかない。
シーズン中のプレーのときもあれば、キャンプ中の息抜きのテニスだったり、録画ビデオで実況されるときもある。
それまで普通に、直線的に物語が展開していたのに、タカハシが関わることで斜め上に、決定的に物語が動く落差がある。
コミカルさ
状況のリアリティ、シリアスさが描写されるが、タカハシが関連するとコミカルになる。
当然タカハシは球場でプレーしているだけなので、それぞれの事情については何も知らない。
本人の知らないところで一方的に救われる人がいる、というのが面白いからだろう。
シリアスさから急激な転換、コミカルへ。
悲劇から喜劇へ。
またしても落差が、快感を生んでいる。
すべては遺伝子にビルトインされたアレの相似形なのかもしれない…。