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「Devilman Crybaby」
見出しの通りなんですが、Netflixオリジナル作品「Devilman Cryababy」を見ました。
英語なのは正式名称が英語だからですが、ふつうは「デビルマン」ですね。
タイトルとか外見は知ってたけど、まあ昔のだなと思ってました。調べてみると初出は1972年とか。古い。
Netflixオリジナル作品になると聞いても、まあ特に興味はなかったですよ。別に面白くなさそうとか思ったわけでもなくて、単純に何も引っかからずにスルーした感じでした。
でもそこにきて、伊集院光がラジオ(深夜の馬鹿力)で「一気見した」と言ってたのでそこまで面白いのか!って思って見ることに。
初めのほう:すげえ、綺麗、エロい、エグい!Netflixだからこそ
見始めていきなりもう画がすごいのに面喰らっていました。
独特の世界だなと。ちなみに時代が現代になっていて、スマホなども当たり前に存在するので、古臭さは感じませんでした。
そうしてると画だけじゃなくて内容も含めてジャンジャンエロいのもバイオレンスなのもグロいのもめちゃくちゃ出てきて、オドロキました。
映像化はNetflixだからこそできたワザだなと思いました。
そんな感じで、初めのほうは衝撃的なストーリーや独特な画に惹かれていました。こんな感じで悪魔を倒しまくるのかなーと。
まあ確かに面白いけれども、まあそんなもんか。。みたいな感じでしたね。
まあいきなり力を手に入れて性格と外見が激変、みたいなのは「寄生獣」とか「亜人」であった(もちろんデビルマンのほうが先で着想元ではあるのだが)なあーこれもそんな感じなのかと思いましたね。
それよりかは緊迫感に欠けるかんじで、伊集院光はこれを面白いと思ったのかあ、わかんないなあ、とちょっと悲しくなってはいました。
3,4話まではあまり気乗りしなかったですね。了がなんか怪しいけどよくわからない、そういうものかもしれない、くらいの。
明らかに明の外見と性格が変わっていることにたいして、誰も何も言わない世界なんだなーなんか適当だなーみたいに思ってました。
けっこうそこらへんの設定いい加減じゃないですか。
あと戦闘もけっこうあっさりしてるし、基本殴り合いしかないし。
でも、話数を重ねるにつれてお?って思うようになってきたんですね。
中盤:あんまり・・・おや?
空気が一変したのは6話のスタジアムでの一件ですね。
明らかに雰囲気が変わりました。
話が大きくなり、社会的なほうにシフトしました。
エグさもよりアップし、おお、ようやく動き始めたなと思いました。
そう、これまで悪魔が人間を殺しまくってたのに感づいてない状況がやや不自然だったんですよね。
目立った敵もいなかったこともいままでのエピソードであまり興味を持てなかった理由かもしれません。
こう、ピンチなときってあんまりなかったじゃないですか。家に帰れば普通に安全だったし。
でもそれも敵側から見ると不自然ですよね。作品の前半はそこらへんがあんまりあってなかったです。
雰囲気が一変する6話からは一気見しました。
あと一般人が、混じって存在する脅威に気づいてからの反応は「寄生獣」に影響を与えたのではないでしょうか(というかまんま同じ)?
さらにいうと、なんでこう他作品を言及して繋げたくなるんだろう。
そうやって進化させてくのが文化だし、独立して存在しているものなんて存在しない。
クリエイターへつばを吐いてるような気がする。
じゃあ自分で書いてみろよって話なんですよね・・・。
これから気をつけていきます。封印です。
終盤:すげえ・・・・。
話がそれましたが、終盤はホントすごかったですね。
伏線回収、衝撃の展開、感動、悲劇。怒涛のごとく襲ってきました。
明に子供が抱きついたシーン、「私もデビルマン」には泣いてしまいましたね・・・。
作品見て泣いたのは初めてでした。切実に人間のえげつなさに触れてからの感動は反則ですね。
すげえと思ったのは、美樹のメッセージのたびに出るネガティブな言葉ですね。
いちいち「臭えwww」とかの煽りがセリフの臭さを消すと同時に、言葉じゃなくて信じる態度が重要で、どう感じるかはその人次第っていうのがよかったですね。
そんな風におら、これで感動すんだろ?みたいな感じじゃなかったのは、今までの話の流れ的にすごく自然でした。
急に映画版のジャイアンみたいにならなくてよかったです。
そして感動でひとしきり揺さぶってからの・・・トラウマになりそうですねアレは。
序盤からぶっ飛ばしてましたから、人類が疑心暗鬼になったときはどこまでいくか不安ではありましたが、そこまで行くとは思いませんでした。
オドロキでしたね・・・吐き気がしました。感動したあとに、ここまで下げてくるってあんまないと思います。
そしてここまでないというところまで下降と話のスケールの拡大を続け、エンディング。
完全なバッドエンドでした・・・。
序盤でこうなる予想が誰にできたでしょうか?絶対大団円になると思ってました。それがこの・・・。
圧倒的終わり方にしばらく再生を止めることができませんでした(エンドロールが終わって止まってからやっと閉じた)。
岡田斗司夫氏は酷評
ちなみに評論家の岡田斗司夫氏は酷評していました。そこがちょっとズレまくってたんで紹介しようと思います。
『DEVILMAN crybaby』なんですけど、もう本当につまんないよね。
どうにか4話まで見たんだけども、酷い酷い(笑)。BLのみなさんにとことん媚びている感じがして、「こんなもん、別に誰でも作れるだろうし、わざわざ湯浅監督がやる必要はないんじゃないのかな?」って思ったんだけど。「“湯浅デビルマン”は昔ながらのオタクを相手にしていないよね」──女性&海外向けに制作された『DEVILMAN crybaby』を岡田斗司夫氏が解説
確かにそういえばそうだったなと。
でもBLをそもそもそんな知らないからか、別に違和感は感じなかったです。
むしろそりゃあんたが評論家でいろいろBLとか読んでるからだよ、と思いましたね。もっとも、バイオレンスやエロは誰もが目をつけることであって、評論家的にはBL要素を取り上げなきゃいけなかったのかもしれませんが、ちょっとムリがあるような気がします。
ストーリー的には、中性的な感じを出すことで伏線となっていたと思いますが、原作では設定が違ったのでしょうか?
最後まで見ずにBLというのはちょっとなあ・・と思いました。
そのほかにも、酷評する材料は
「日本ではありふれている過激なアニメ表現を、海外に、それも、“日本のアニメ”というアートっぽいものとして持っていったら、すごくウケるんじゃないのか?」という戦略商品の匂いがプンプンするんですよね。「“湯浅デビルマン”は昔ながらのオタクを相手にしていないよね」──女性&海外向けに制作された『DEVILMAN crybaby』を岡田斗司夫氏が解説
や、
いや、いくら勘所を押さえてなくても、ピンぼけでも、原作を無視してても、それを上回る面白さがあればいいんだよ? でも、『DEVILMAN crybaby』には、それが全くないんだよね。「“湯浅デビルマン”は昔ながらのオタクを相手にしていないよね」──女性&海外向けに制作された『DEVILMAN crybaby』を岡田斗司夫氏が解説
がありましたが、何かピンとこないんですよね。
「戦略商品」の説明では、ガッチャマンの日本版の映像(格闘シーンがカットされていない)がアメリカ人に超受けてたから、それと同じことをしようとしている、ということでしたがいささか例えが古すぎる(1970年代後半)のはプロとしてどうなんでしょう。
いまやバイオレンスなアニメ作品なんて日本作品以外にもゴロゴロ転がってますし、状況が全く異なります。
個人的体験を汎化しすぎ(しかも昔)な気がしましたね。
ということで・・・評論家(専門家)と普通の見る人では感性が違いすぎて、参考にはならない・・・ということがわかりますね。
まとめ
最後には批評の批評もぶちこんでしまい、まとまりがないですがそれくらい衝撃的で面白かったです。
映像化されていなかったら、見ることもなかったと思いますが、今回最新版を見れてよかったです。ホントスゴかった・・・。
やはりNetflixだから映像化し放送できた、というところが大きかったのではないでしょうか?これからも楽しみにして生きていきます。