村上龍 読書

村上龍の短編は寓話らしいが、理解できたことがない

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短編集には、短いストーリーのそれぞれに端的に意味や教訓が込められている。
イソップ寓話、日本昔ばなし、星新一…
ストーリー展開が鮮やかで意味がわかりやすいものだと思う。

村上龍の短編は意味がよくわからないものが多い。
短編作品はけっこうあるので仕方なく読むのだが、よくわからない。
あまり売れてる感じもしない。
上で述べたような物語群とは全く性質が違うように思う。

が、『村上龍自選小説集』の3巻の副題は「寓話としての短編」で、『村上龍料理小説集』『恋はいつも未知なもの』『ニューヨーク・シティマラソン』『悲しき熱帯』4つの短編集が丸ごと収録されている。

一応寓話としてカテゴライズしているようだ。
込められた意味を
・作品全体
・短編
の2つのスタンスから考えていこうと思う。
結論としては、短編は意味不明ということになった。

作品全体

まず、作品全体へのスタンスから。
自選集のあとがきには、こうある。
「言うべきことや語るべきことを持っているのは基本的に政治家だとわたしは思う。
作家やその他の表現者は言うべきことや語るべきことがあって作品を作るわけではない。
伝えたい何かがあるから、作るのだ。アピールしたいわけでもないし、マニフェストしたいわけでもないし、抗議したいわけでもない。
ただ、自分という容器にある情報を伝えたいというだけなのである。」

言葉にすると微妙な違いだが、「べき」で発する情報と、「伝えたい」で発する情報はスタンスが全く違う。
村上はエッセイ等で社会的なことをよく書くが、科学的・客観的に伝えていて、押し付けがましさや説教さがないのは「べき」で終わる主張がないことにあると思う。

たとえば人口が減り経済が縮小する、という文脈のなかで一人一人の生産性を上げるためにどうするか、みたいな話しがマスコミであったとすると、ああ確かにやばいな、どうすればいいのかな、未来は大丈夫かな、と普通の人は不安に思う。
しかしその話しの前提には経済は従来の人口サイズで維持すべき、というのがあって、そこを確認しないまま論を進めているから押し付けがましかったり無理があるものになる。
あるべき姿、的なものがないと、経済レベルに合わせて縮小させるとか、生活レベルに必要なのはどれくらいなのか、と考えて現状に合わせるということができる。
前提を言葉にすることで疑える。

ということで、作品全体としては「べき」なく、伝えたいことがあって書いていることは明らかだ。

短編

次に短編に限って考えてみる。
短編はどれも面白いとは思わず、意味もよくわからなかった。
4作品に限らず、村上龍の短編集はよくわからない。
副題に「寓話としての短編」とあるが、教訓的なことは一切ないように見える。

一応「寓話」という言葉を調べてみた…「擬人化した動物などを主人公に、教訓や風刺を織りこんだ物語」(デジタル大辞泉)
教訓?風刺?全然わかんないのだが…汗。
だから?というところで物語が終わってしまい、困惑することがほとんどで、織り込まれた意味を読み取ることができない。

料理小説集なんかは高級な料理の素晴らしさを書くことが目的なのかな、とか味を人間関係のシチューエーションで例える究極の食レポなのかなとか、熱帯は高コントラストで美しいジャングルの情景を楽しむものかな、とか映画的なワンシーンを強烈に印象づけるもの、などと解釈した。
短編というより、詩に近いイメージだと思ったが、書いた本人の意図とは異なるらしい。
あとがきの「自分という容器にある情報を伝えたいというだけなのである」で、ストーリーそのものに意味をこめていることは間違いないのだが、読み取ることができない。

村上の書籍作品はエッセイ、短編、長編、インタビュー系と分けることができるが短編だけが意味不明だ。
著作の中からヒントをかき集めて解釈していこうと思っている。

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