村上龍 読書

素晴らしい表現・作品には必然性があるという一つの例

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有名人、名前が知られた功績を残した人物は興味深いエピソードを持っていることが多い。
優れた能力や熱意は、溢れ出してしまうものなのだろう。
一方でそのエピソードが象徴しているものはその後の人生に影響を与えていることもある。
エピソードが原因なのか結果なのか、あるいは両方なのかはわからないが、理解し一般的な法則を見つけ参考にする上で重要だと思う。

村上龍『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』では、彼が作家に至った必然性を見ることができる。

あらすじ

40代の作家ヤザキと、中学生のときの初恋アオキミチコが、ハウステンボス内の高級レストランで再会し、失われた輝く過去を思い起こし、現在の2人の関係も変化していく。

同じヤザキシリーズである『悪魔のパス 天使のゴール』(時系列は後)にも、微妙に違うが似たような話が出てくる。

表現者を指向するのは必然だった

中学生のときのエピソードから、ヤザキ(≒村上龍)が表現者へ向かっていく必然性を感じとることができる(このときは医者を目指していた)。

頭の回転の速さと欲望、行動力があった

熊本への修学旅行で、クラスを扇動し風呂で暴れまくって蛇口やガラスを壊した(笑)ときの話は印象的だ。
クラスは謹慎処分として街への外出を禁じられた。修学旅行では一番効く罰だ。
ヤザキは学級委員長として計算された真摯さで副委員長(=アオキミチコ)とともに教師に謝る。
そして思惑どおり二人だけ謹慎としてクラスの外出は許可された。
ヤザキの狙いはアオキミチコで、さらになんだかんだ二人で外出もして、甘い時間を過ごすのだった…。

明確な優先順位、結果を達成するために様々なことを考える頭のよさ、実行する勇気は、中学の時点ですでに備わっていた。

大人の矛盾、米軍基地のある環境から敏感に怒りを感じ、それを伝える行動に移した

ヤザキは、様々な大人たちの矛盾に気付いているし、実際に基地のある街で目の当たりにしてもいる。
普段は威張っている人間が、米兵の前でペコペコし、自分を守ってはくれない。

矛盾を感じるくらいなら、程度は違えど中学生にもなると誰でもあると思う。
しかし大抵の人間はそういうもんかと受け入れスルーするものだし、明確に形として矛盾を目にし実害が降り掛かってくるわけではないのでシリアスな問題として考えることでもない。

矛盾を指摘しても、理不尽な言動が返ってくるだけだ。
怒りを彼らに表現するまでいくことはほとんどなく、多くの人間は表現をしないうちにいつしか価値観が内面まで浸透し一色に染め上げられていく。

暴力を受け罵倒されても、全く屈服しなかった

反抗や矛盾を指摘しても、教師からの暴力や理不尽な言動が飛んでくる。
普通は屈服しそうなものだが、全く屈服しなかった。
頭のよさや、親との関係、蔑視の根拠を実際に目撃(米兵にペコペコ)など、そういうことができる理由や環境はよくわからないのだが、屈服しなかった。
結局、教師のほうが諦めるまでに至っている。

ヤザキの意志の強さ、自分の意図を伝えたいというところが大きいのかもしれない。
考えを持ち、それを誰にでもわかる方法で表現する。
後の作品に通じる明確なテーマ性といったことを感じることができる。

以上のようなことを踏まえて、ヤザキが表現者へ向かっていくことには必然性があるといえる。

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