ホリエモンの『すべての教育は洗脳である』を読みました。
んー、なかなか彼らしい挑戦的なタイトル・内容です。
ん?と目について読みたくなることが多いのでタイトルの参考にしたい。
あらすじ
教育は洗脳である―未成熟な国民を型にはめて、画一的な人間を作るという意味からいって。
歴史的経緯からいっても現在の日本の教育制度は明治時代にドイツの教育を参考に作成された。
後発ながらも工業国の地位を得ていたドイツに、学ぶことは多いと考えたためである。
当時の工業で大切なのは画一的な能力。
工業ラインは皆が足並みをそろえないといけない。
皆より作業が遅いのはもちろん、早くても詰まってしまう。
また、工業的な理由と同時に重要なのは軍事。
兵隊を多く養成するためには従順な国民を「教育」する必要がある。
かくして美徳・道徳まで教育され、能力だけでなく思想的にも画一的な人間が大量生産されることとなった。
とはいえ戦前や戦後しばらくは国全体の成長を前提として兵力や労働力となり、画一的でも利益を得ることができた。
しかし時代は代わり、低成長、グローバル化で大量生産された人間は勝てなくなった。
そんな中、ホリエモンは自分を貫いて財をなした。
彼に言わせると、型にはめられる教育に順応しなかったからだという。
時代は変われど方向転換できない教育を、ホリエモンが切る。
根本の主張はほかの著作と変わらない
現代の教育の問題を、歴史的経緯に基づいて主張していました。
今まで読んだことあるヤツは個人的体験とか、一般論ばかりだったのでちょっと意外でした。
あまりホリエモンが書く意味はないのでは・・・という感じもしますが、まあそんなもんでしょう。
教育制度の問題とその理由を明らかにしたところで、彼はもっと自由に、自分がやりたいものに熱中するべきだと提言します。
ここらへんほかの提言と変わりませんね。
型にとらわれず何かに熱中して楽しむことで、もっと楽しい社会になると、そういう感じです。
プロパガンダ映画での主張との類似性・実際そうだ
現代の教育制度の歴史について語られるところでは、ある映画とほとんど同じ主張がされていました。
その映画はアメリカのプロパガンダ映画なのですが、教育に関してはなるほどたしかに!という日本の教育制度についての批判が含まれています。
例えば朝礼、起立・姿勢・礼、一方的な授業、道徳教育、髪型、制服・・・
プロパガンダ映画とはいえ、割と客観的でした。
というか戦前のプロパガンダ映画の批判が、現代の教育制度にも当てはまるってどんだけ進化してないんでしょうか。
クソ教師
個人的にはたびたび出てくるホリエモンが出会ってきたクソ教師への恨み節がおもしろかったですね。
今考えるとなんであんな偉そうだったんだろう?って教師ってすごくいますよね。
教員免許を取ってる人の感じを見ていると、なんか納得しちゃいますが。
まとめ:学習面でも個が重要になる
結論はいかに自分で熱中できるものを見つけて、とことん追求するかというところに行き着きます。
見つけるためには、いろんなものに足を突っ込んでみる。
誰かが教えてくれるのを待っていては教育の奴隷になったままで、自分のアタマで考えてない・・・のカモ。