村上龍 読書

凡人はどう生きるか―『ストレンジ・デイズ』

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あらすじ

音楽グループをプロデュース会社を経営する反町は、生き抜く上で育まれた天才的演技力を持つ、深夜トラックドライバーのジュンコと出会い、人生を決定的に変える。

超人的な能力描写のすごさ

超人たちは常に美しく、迷いなく、驚異的に描写される。
私は現実ではテレビで、スポーツ選手くらいしかそういう超人を見たことがないが、たぶんどの分野でも一流のものは美しさが生まれるものなのだろうと思う。
現実に会って身近に話すと、洗練された動作がよく理解できるかもしれない。

新幹線や戦闘機の形が美しく見えるのは、余計なものがないからだ。
高速度の過酷な環境下で、科学的に最も機能的な形でもある。

天才的演技力、仮想人格構築力を持つジュンコの描写は、本当にすごかった。
演技ではなく、誰かそのものになる。
単なる映像作品での演技や、舞台上だけでなく、生活する上でも相手に脅威を感じさせるくらいのものなのだ。

死んだように生き、一流を知らない人間にすら普通ではないとわかり、張り詰めさせ、緊張させる一連の動作。
専門的技術や、社会的関係性がないと理解できない、というものではなく、誰にでも理解できるのがホンモノ、一流であることも伝えている。

つまり日本にある多くのものは、日本人でないと理解できないという意味で一流ではなく、世界標準にも当然なれない。

平凡な人間

村上作品ではよく、超人的能力を持った人とそれを生み出すことになった孤独や、危機感、そしてそれに触れることで傷つく、特徴や特殊能力、危機感のない普通の人間が対比的に描かれることがある、例えば『オールド・テロリスト』のセキグチと老人たちや、『ヒュウガ・ウイルス』におけるコウリーとUG軍兵士などだ。

特別な能力を持つ人間のそばにいるが、自分は誰でもよく、交換可能な人間だということに悩むのだ。

優秀な人間は、痛みを伴いながら周囲の環境を変える。
そばにいない人間は、痛みも危機感も葛藤もなく、平凡な日常を送り、これが幸福だ、と思い込み縋り、聞かれてもいないのに叫び、納得しようとする。

ずばり、自分のことを言い当てられたようだった。
が、変えようと思うでもない、どうしようもないことだ、その醜さをただ認識するだけだ。

小説を書くときの村上の体験が書かれている?

ジュンコは、演技だけでなく仮想人格を構成するのも天才だ。
むしろ、仮想人格が完璧で、その人になるので完璧な演技をすることができるとも言える。

仮想人格を構築する一連の動作や体験は、小説を書く時の動きとして考えても通用し、ほかの小説で言われていたようなことを合わせて考えると、彼自身の経験から言っている部分が大きいと思う。

例えば、他人の動作の観察と、それに基づく想像だ。
ジュンコは他人がどうなんだろう、他人も自分と同じように変なことを考えているのか、ということで観察力と想像力を日常的に鍛えていた。
人の細かな動作について知らないと客観的に情報を伝えることができないし、外見上のヒントがないと自分自身の想像力を喚起できるわけではない、読者に想像させることもできない。

同じことは小説執筆にも言える。

言葉によって伝えるものが本とか小説だが、文章の達人が小説を書くわけではない、人間観察と想像の達人が小説を書くのだ。

彼が、みずからの小説執筆に関して言及することはあまりない。
これがいかにできるのか、何か乗り移ってるように書くのか、それとも完全に冷静に、パズルを組み立てるように書くのか、メランコリックでドラッグな文はどういう気分で書くのか、…個人的には、かなり聞きたいトコロだが、本ではあまり語らない。

ワインやサッカー、海外、日本社会、社会との関係や、ドラッグ、セックスについてはよく語られるのに…

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