私見

働き盛りの男性こそ自炊し、精神を健康化し、欲望の矮小化を防ぐべき

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炊飯器で料理革命

食ってるモノが人間を作る。
今朝食べた白飯が、爪や皮膚になるのはにわかには信じがたいが、頭では理解できる、それしか体に入れてないのでそれ以外ありえないと思う。
しかし精神のことになるとそういう感じはしないのではないだろうか?
精神状況も、言ってみれば脳科学的な物質と、電気信号(たぶん。詳しいことはわからない)に過ぎないので、食ってるものから伝達物質は作られる、つまり何を食うかによって人格が徐々に変わっていくことになる。

…最近、炊飯器を買い、自炊するようになった。
白米と同時に肉や野菜も適当に入れ、それで美味しかったときには感動した。
まさにこれは料理革命…

今までの(廃棄)コンビニ弁当生活から、材料をスーパーで買うことになったわけだが、その種類の多さに驚いた。
実験的に鶏、豚、牛肉を炊飯器調理してみたところ、炊飯器に一番よさげなのは豚肉だった。

肉を買うときには、肉だけを食べるわけではないことに留意して買い物をするようになった。
焼肉でもそうだが、肉のほかに野菜や輝く白米が必要になる。
苦労があって喜ぶが引き立つように、水力発電にダムが必要なように、上げ幅と下げ幅の落差が重要で、ドラマチック、波乱万丈で充実した人生には多様性が必要だ。

より簡単に言うと肉は単体では気持ち悪くて食べれない、だから野菜も買う。
野菜といっても色々あることに気付いた。
人参、たまねぎ、もやし、キャベツ、…

とりあえずキャベツを選ぶ。
そして、肉と野菜を買ったわけだが、調味料も考える。
塩だと混ぜるのが面倒なので何か液状のものをかけたい。
液状だと下に溜まるのでご飯と混ぜたり、乗せて食べるのはよくないので皿を買う。

そうすると、ご飯につけるものが必要だということになり、ふりかけ、白菜漬け、キムチなどから選ぶことになる。

結果的に、カゴにはたくさんの、バラバラの食材が入っていて、立体的な想像と期待、そして何も忘れていないかの不安がある。

結論として…料理は、食べるという目的があり、立体的に組み上げていく必要があるということだ、後で店から離れて調理して、胃に入れる必要があり、いつでも店には来れない、よって過不足がないか実際に想像しなければいけない。
目的がはっきりしていて、逆算していく行為は何か組み立てているようで楽しい。

自炊は欲望と精神の健康のためにすべき

ここまで長々と書いてきたのは、いかに料理の際の、目的に沿ってイメージし、分解していく作業が楽しいかという趣味的なことを伝えるためではない。

本題はここからだ。

結論からいうと、自炊は欲望と精神のためにすべきだ、ということ。
食費を安く抑えるためとか、体の健康のためというのは違う。

普通の経済状況の独り暮らしの人は、自炊をほぼ全員やっていることかもしれない、私のようにコンビニや、あるいは飲食店でバイトをしていたら自分で作るのがアホらしくなってコンビニ弁当やまかないで生活したり、あるいはおカネに余裕のある中年や、年収が上がると見越している若い男性正社員の人は時短のためにコンビニ、スーパーで弁当、外食で済ませている可能性が高いが、その精神面の影響について考える必要がある…。

ちなみに、科学的根拠は一切なく、体験だけだが、実際試して比較したほうがいい。

量と欲望

まず、店売りの弁当の問題点は量と肉が少ないことだ。
デカイ弁当はターゲット層が男性、しかも大食いに限られ、そんなものリスクの大きいものは仕入れたくない。
さらに肉はすぐダメになるのでたくさん入れるのは論外、原価は高いし、軽い…

食欲は器の大きさに左右される。
デカイ器にたくさん入っていれば我慢してでも食べ切るし、中くらいの弁当だと満腹度60%でもまあいいか、満腹だ、となる。

2個食べればどうだ、というかもしれない、しかし2個食べれるだろうか?
濃い味付けで、薄く広く乗せられたご飯(食べにくい)、おかず、レンジで温める必要があり、慎重に弁当の横のビニールを開けゴミ箱に捨て、蓋を慎重に取り、食後捨てる手間…
欲望の上に限りがないように、矮小化にも限りがない、弁当を2つも食べるのが面倒になってくる。

食は最も身近で額と頻度の多い、欲望と経済活動がリンクした行為だが、矮小化した食生活を送っている人間は欲望も小さくなる傾向にあるような気がする。

満足してるんだったらそれでいいのだが、自分より楽しんでる人間がいることを無自覚にわかっていて、人生楽しすぎ!友達多いぜ!みたいなアピールと個別エピソードを一方的に語ってくるが、友達=遊び仲間という表面的な関係でしかなく、自分の代わりもいくらでもいるということに無自覚な、大学生のような人間になる。

無自覚でいようとするのは欲望がないからだ、もっと上を見つけようとしないため相対化できない、安住するための防衛本能が働いている。

脳科学物質

根拠や知識は一切ないが断言する、肉が少ないことは脳化学物質的に悪影響である―。

上で述べたように、食べているものが伝達物質という形で精神も作る、たぶん。
興味や興奮はある種の物質の反応に過ぎず、その物質が欠乏していれば反応しにくいような気がする。

詳しいことはわからない。
まったく聞いたことがないので、一笑に付される話な気もする。

よく、人格や成長を決定するのは遺伝子か?親か?友達か?という議論がある。
アレに、食べ物を追加したい。

具体的には、肉をよく食べてきた人間は「肉食系」という言葉の通り、女性に積極的なアプローチをするかもしれない、野菜ばかり食べてきた人間はベジタリアンのように禁欲的に、魚をよく食べてきた人間は魚顔になったりするかもしれない、ということだ。

もちろん脳科学物質だけでない、体力的なものも影響して、人間関係を左右し、人格を構築する。
例えば、夜まで元気が続かない場合飲み会などに参加することができず、仲良くなれないかもしれない。

大雑把に言えば筋力とか熱量の問題だが、実際はもっと細かく、伝達物質の問題かもしれない。

肉を食べるようになってから、ほかの食材がどんな味かするのか、美味しそうだと思うようになった。
それまでは味覚の楽しみがなくなっていた、何を食べても同じだとさえ考えていた。

単に美味しいものを知っただけかもしれない。
美味しいものが、快楽の記憶としてエネルギーとなり、美味しいものへのエネルギーをさらに強めていく、…それを考えても、肉は特別枠な気がする。

ということで、2つの説。
肉が脳科学的な原料になる説と、肉食自体が気軽に体験できる快楽でさらなる欲望を呼ぶ説。

コンビニやスーパーの弁当しか日常的に食べない、というのは限られた層のことで、信じられない人がいるかもしれないが、実際多い。
生き抜くためには、体の健康と同じくらい精神の健康にも気を配る必要がある、それは出世しカネを稼ぎモテなければならない働き盛りの男性に必要なものだが、一番影響について軽視している層でもある。

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