村上龍 読書

世界都市における地元住民の暮らしぶり『ニューヨーク・シティ・マラソン』

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あらすじ

ニューヨーク、リオデジャネイロ、博多、ローマ、メルボルン…9つの世界の都市の住人を主人公にした短編集。
世界の大都市に住む、人種も仕事もシチュエーションも全くバラバラな9人の生態を描く。

短編の意味

村上龍の短編は長編と全く趣が異なると思う。
オールド・テロリスト』、『5分後の世界』などの長(中)編は明確な目的や主張がまずあって、登場人物や場所を配置し、各種職業や専門的知識(脳科学、生物学、心理学…)コーティングされて圧倒的リアリティを持っているように見える。

一方短編は、言いたいことがよくわからないことが多い。
ただ一つのちょっと変わったイベントが忠実に描かれるだけ、というのはよく見る。
別に意味なんてないのではないか、と思うことすらあるが、本当はどうなのかはわからない。
これが例えば星新一だったらあ、そこでどんでん返しなのね、なんて誰にでもわかる。
〜と思わせといて意外な展開、というところにエンタメがあるからだ。

よくわからない。
よくわからないからクソと言っているわけではない。
全部読むまでに時間は大してかからなかったのでそんなにつまらなかったわけでもない。
本当のクソは読むのが辛く時間がかかる。

…今回はテーマが非日本人の主人公(一人博多の人がいるが)の短編集だ。
短編では援交するJK・OLや、SM嬢が題材のときもある。
それと同じように彼(女)らの普通の生き方自身が情報になっているのかもしれない。

異国の住人をなぜ描けるのか?

書いた当時、24歳。
ニューヨークへの40日間の海外旅行(初めてらしい)を元に、書いたらしい。
なぜそれで書けるのかはあまりよくわからない。
ニューヨークからは出たかもしれないが、たぶんメルボルンやブラジルに実際行ったわけではないし、いちいち実体験なわけがない。

観察力と想像力が想像を絶している。
どこまでが嘘なのかわからない。
もはや病的とも言えるかもしれない。
やや引いている。

これで24歳か…。
別に同年代を生きる自分と比べて悲観しているわけではない。

ただなぜか、ということが気になる。
才能と言ったらそれまでだが、そうなるような生きる上での必然性があったはずだ。
村上作品で欠落感や無力感を埋め生きるために才能を生み出す、という主張があるが、彼もそういうタイプなのかもしれない。
ただ具体的になぜ凄まじい想像力や観察力につながるのか?はわからない。

考えてもわからないし、正解なんてないかもしれないし、あっても教えてはくれないだろう。
ただ、著作を読んで想像するしかない。

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