世の中には、快楽を追求する手間と金を惜しまない人間がいる―。
普通の人間では、体力、モチベーションが持たないが、その魅力は抗いがたいものである…(たぶん)。
村上龍『エクスタシー』は、普通の男目線で、最高の快楽を追求する男と女を描いた作品である。
あらすじ
「ゴッホがなぜ耳を切ったか、わかるかい?」ニューヨークで日本人のホームレスにそう言われ、女への電話番号を書いた紙切れを貰う。
女が語るホームレスの男は、ホームレスらしからぬ過去と、金、今なお彼を思う女たちを持っているのだった…。
ヤザキシリーズの一つになるのだが、この時系列のヤザキは小説家ではなく、映画やミュージカルのプロデューサーをやっている。
一連のヤザキはだいたいの時系列は共通だが、すべて同一人物というわけではない。
普通の男視点
村上龍のこのテのテーマの作品はいくつかあり分量もそれなりにあるが、何を伝えたいのかはどれもよくわからないし、違いもはっきりしない。
ただ、今作がほかのと違う点は普通の男が主人公だということだ。
いつの間にかヤザキと女たちが溺れる、支配と快楽の関係性に取り込まれていくわけだが、当初はそうした関係に疑問と警戒感を持つ普通の男だった。
「普通」の視点が、必要だったのかもしれない。
「いつもの」主人公像とは異なる
語り手は「いつもの」サディストな、金と地位を持ち頭が切れ、快楽を追求し女を飼う男、というキャラクターではない。
徐々にマゾヒストに変化していくが、最初はノーマルな趣味でビデオ職制作会社に勤める普通の男だった。
快楽追求の理想像?は理解しにくい
よく出る理想の?快楽追求男はあまりよく理解できないことが多い。
途中経過や、飼うようになったモチベーションの醸成は描かれていない。
男としてスゴい、とは思うがそこまでする理由やモチベーションはよくわからない。
ノーマルから染まっていく
この作品ではノーマルから、いつの間にか支配される快楽(マゾ)へ染まっていく様子が描かれているという点で、ほかの作品と異なる。
いつの間にか飲み込まれていて、自覚があってもどうしようもないというところまで来ていた、は恐怖だ。