小学生のとき腹の痛みによく恐怖していた。
痛みも恐ろしかったが、たいてい出せば治った。
大便用の個室に入るのを見られるのが一番の恐怖だった。
腹の痛みは腸の動きを悪くし、予感で実際に痛くなってくることを直感的に知っていたので、必死に必死に考えないようにしていた。
最新の注意と工夫のおかげか、ウンコを告発された記憶はないが、なぜ恐怖していたのだろうか。
たぶん誰かがウンコマンとバカにされるのを見たのだろう。
男子小学生は何も考えていないように見えるが、やっていることは団地の公園の若ママグループでそれぞれが、浮かないようにくだらない会話に笑みを貼り付けて相槌を打っていることに似て、小賢しく敏感だ。
ウンコマン認定のようなことは閉鎖的で腐った(ウンコだけに)、何も目的がない集団でありがちなことだが、小学生だって高度な社会性を備えているとも言える。
思う以上に敏感で社会性もあり、親の影響を大きく受けるということがよく理解できる。
今、中退を例に上げる社会学の授業を受けている。
高校中退の要因が、興味深かった。
要因として普通に思い描くのは家計とか友人関係などだが、教師、校則、学力、親の影響が大きいようだ。
見せしめ的に辞めさせることで多数の生徒を救うという歪んだ正義感を持つ教師、それに違和感を覚えない学校。
厳しい校則は普通の生活にストレスをかけ、生活を続けられる気をなくし、教師から疎まれる。
学力が低いと教師から疎まれ、グチグチと言われ、自尊心も低くなる。
親は生活習慣を作れず学力を低下させる。また子より教師の主張を優先させ退学への抵抗もしない。
大人たち、校則、唯一絶対の評価基準である学力、は相互に関連している。
高校生は既に熟成した社会性を持つが、閉鎖された社会で各要素を増幅させ生徒をよってたかって殺しにかかる。
退学した知人について考えることは少なく、貧困な想像力で同情し哀れむが、知人という関係性から見えているのは一部に過ぎず、彼らの苦悩は想像を絶することが多いだろう。
友達にウンコマンと言われただけで不登校になる人間はいないが、教師、親までウンコマンと言ったら多分不登校になるだろう。
例えがおかしいか…。