村上龍 読書

買い物好きのニュアンスと経済レベルについて考える

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ふつうの(経済レベルの)買い物好きという人は、買うことが好きというより、商品を吟味して厳選していくことに楽しみを見出しているように見える。
店で何時間も見て試着して、やっと買って、ああ楽しかったー、みたいな感じで。私はあまりわからない。

金をたくさん持っていて、よい商品を知っている買い物好きの場合は、エッセイ『案外、買い物好き』での村上龍のようになるのかもしれない。
シャツを一度に20枚も買い、何百枚という単位でストックがあるのはちょっと異常な感じがするが…。案外のレベルではない。

村上龍は明らかに「買い物好き」の範疇を超えていると思うが、なぜシャツを買いまくったのかについて考えていこうと思う。

なぜシャツをたくさん買うのか?

強い欲望があるから

まず強い欲望があったことが上げられる。
高度経済成長前を体験した世代にありがちな、モノへのこだわりがある。
少年時代から裕福で海外旅行をたくさんし、モノが溢れている家庭だったわけではないだろうので当てはまると思う。

エッセイ等見ていると、別にお金がたくさんあることに飽きた感じはせず、常に熱中する対象を見つけて金をつぎこんでいるイメージだ。
シャツにおいても、欲が衰えることはなかったのだろう。
欲望は少年時代の経験がそのまま持続して反映されるものなのか、お金持ちになって達成し徐々になくなっていくものなのか、それとも単に熱中する対象は少ないということなのか。
村上は、少年時代の原体験を維持しながら、熱中する対象を常に持ち強い欲望を維持しているように見える。
貧しい日本の原体験を持つ人物はこれから少なくなるし、常に熱中する対象を見つけている人は今も昔もレアだ。

たくさん金を持っているから

当然ながら、金持ちでないとシャツ屋で4〜50万円を使うことはできない。
だが、金があったからといってそうじゃんじゃん使える人は少ない気がする…いやいそうな気もする…わからない。
しかし一度に一着しか着れない服を、何百枚と持っていたってなあ…。

経済レベルで比較すると、私にとっての「割り箸100本セット」のようなものかもしれない(商品の魅力は考慮しない)。
割り箸は一度に一回しか使わないが、どうせ200円だしと思って100本買い、スペースを取って若干後悔する。
学生の経済に例えて言うとたぶんそんなレベルのお買い物。
例えがおかしいとは気付いているが、経済レベルの違いが大きすぎて想像できないのだと思う。

偏愛がすごいから

結局はここに着地する。
シャツが好き、それだけでだいたいは何百枚と買うことの説明がつくのだ。
何百枚のどれも色や素材、デザインが全く異なって、たぶん見ているだけで楽しいのだが、わざわざヨーロッパまで来るのはだるいし、次あるかもわからない…ということだ。

金がないと店で見て吟味、見ている瞬間も楽しい(これが普通の買い物好き)、となるのだが金がうなるほどあると見るために買う、というふうになるのだろう。
何かがすごく好き、ということがないと成立しないが、金持ちになってもこういう気持ちを失わないことはすごく大切な気がする。

村上の言葉でいうと「少年と老人が同居しているような」、感じ。

…買いまくりは変ではない。金と欲望と偏愛があれば誰でも起きる。
でも、「買い物好き」の範疇に入るかは微妙だ。
あえて名前をつけるとすれば、「シャツフリーク」とか、「シャツコレクター」(着るから違うか?)とかだと思う。

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