あらすじ
体を売りたくましく生きる12人の女たちの短編集。
それぞれの人物に関連性はなく、フリーター、SM嬢、映画監督などバラバラだが、体を売っていたり、変態的行為を描写しているのは共通している。
このテの作品はよくわからない
村上龍作品を読んできて思うのだが、作品のタイプにはだいたい3つある、変態・メンタルヘルス・ドラッグの一連の観察作品(以下アンモラル作品)と、日本の社会レベルでの出来事を描いた作品、個人的犯罪によって救われる作品だ。
アンモラル作品は処女作『限りなく透明に近いブルー』、『2days 4girls』、『ワイン一杯だけの真実』など、社会レベルは『5分後の世界』、『希望の国のエクソダス』、『オールド・テロリスト』、などに代表されるテーマと雰囲気の作品、犯罪作品は『共生虫』、『昭和歌謡大全集』、『ピアッシング』、『オーディション』などがある。
社会を描いた作品の方が最初目について読んでいたのだが、どうも社会作品は比較最近の取り組みで、アンモラル観察作品が作品全体で相当の量を占めているようだ。そしてたまに犯罪作品。
私は1番に社会を描いた作品の方が好きだ。
主張が明確で力があり、ディティールがすごくて科学的だからだ。
犯罪作品もハラハラしながらも、個人と社会との距離感と、ある種の犯罪によって救われる姿が好きだ。
しかし、…アンモラル観察作品は、あまり好きではない、というかよく理解できない、意味を取れない。
最大限観察、外面上の描写に徹しているような感じがある。
自分自身の体験から照らし合わせて共感したり解釈していくものだと思うのだが、体験が貧しくて理解できないのかもしれない。
この作品は、アンモラル作品な部類に入り、理解がほぼ、できなかった。
たいてい、え?だから何?的なラストを迎えてしまった…。
書いてある情報そのものに意味がある
それで焦っていたのだが、考えてみればすべての作品に意味するもの、象徴するものがあるわけではない。
ノンフィクション映像なんかはその情報そのものに意味がある。
この作品は多くの取材をして書かれたらしい。
語り手となる人物はたいていひどい目に会うが、強く生きている。
意味なんかわからなかったが、強さは理解できた、かもしれない。
異様な過剰さは、毒にはなる
文章のある部分に対して白痴、『アルジャーノンに花束を』の前半的なやつ、と精神をやられるような気持ち悪さを感じた。
例えば小学生の作文のように6行程度句読点なしで無意味な時系列を一気に語る文章があったり、主語がぐちゃぐちゃだったりしたり、ハードなSMプレイを異常に詳細に描写している、過剰さ。
毒にも薬にもならない、というが、この作品は確実に毒文章を含んでいて、何らかの生理的反応を引き起こす。
ホラー作品や、コメディ作品の内容自体に意味はなく、生理的反応を求めて鑑賞するものだが、この作品はそういうものとして見るといいかもしれない。