矛盾、だからといって何もできない
この記事の題名そのものが今の社会を表しているように思うくらいのわけわからんアルファベットが並んでいる、ということを念頭に置いて。
 講義か何かのとき、互いに見知らぬ人が10人ぐらいいた。
 休み時間に何が見られたかといえば、みながみな下を見てスマホをいじっている光景だ。異様なのはスマホ自体ではなく、自由な時間に一様に同じ行動をしていることだ。
自由な社会のはずなのに、単一的な社会、そんなことを思い浮かべた。
 そのギャップはどこからくるのか・・・?そう思いながら自分もスマホでAmazonをチェックするのだった・・・。
 たまに 小さな反抗で、世間話でもすることがあるが、かなり勇気を使うし、しようと思ってもできないことが多い。歴史上で一番他人とつながっているはずなのに、隣の人と会話することもままならない。矛盾ばっかりで、なんかおもしろいですね。
『ブラック・ミラー』
そんな矛盾に満ちた社会を描きあざ笑うのが、Netflixで見ることができるドラマ『ブラック・ミラー』である。
 主にいままさに実用化されつつある技術(仮想現実、SNSの現実世界への拡張)でどのようなことが起こりうるか、という現実に近いSFである。
 また人間関係や社会、人間個人への影響を描いていて、自分自身にぐさっと来るものだ。
一話完結型で、イメージとしては「世にも奇妙な物語」の技術版といってよい。
 例えばSNSの評価が社会のあらゆる場面で重要になった場合どうなるか、超仮想現実ができるようになった場合、・・・などなど。
 エピソードごとにかなり違う味付けで、今の世の中でもごくごくある技術的出来事から、まだしばらくはかかりそうな技術だったり、ホラーだったり、謎解き型だったりする。
洗練された各種ガジェット
前回紹介した映画に出た小道具が非常にレトロなものであったのに対して、このドラマはいかにも未来的な(もちろん今これを書いている時点で、だが)ガジェットが登場している。
 いや、もう現実に登場しているくらいのものもけっこうあるので未来的でもないかもしれない。
 例えばスマートグラス(それをかけると網膜に投影して映像を見れる)。
 しかしその道具を使う様子は滑稽で、文化的な認識が後にくるということを思わせる。
 しかしスマートグラスを笑ったって、携帯も同じことじゃないか、エレクトロニクスを使うときはどれも実に滑稽なんだ、と気づいてなんか恥ずかしくなる。
 笑っていたのは鏡に映った自分だったのだ。
 ・・・前編を通して語ってくるのはそういう認識だ。いよいよそういう体験が実際にくるのは目と鼻の先だ。その前段階として、見るべき教育ドラマとして推したい。いつでも遅れるのは技術ではなく、人間の認識のほうなのだ。
