日本社会ではとりあえずの人生目標として安定・充実した老後、ということが一般的だと思う。
そのために長々と意味のない学歴を積み、さまざまな理不尽によく耐える。
当然サラリーマンにとって終身雇用制と密接な関係があるわけだが、成功した経営者で充実しているように見えても自殺したりすることがある。
貧乏人は金があれば老後は幸福だろうと考えるが、当然必ずしもそうではない。
(金は当然として)老後に生き延びるために必要なものとは、充実した生活とは何かを描いているのが『美しい時間』(村上龍+小池真理子)だ。
あらすじ
村上龍、小池真理子の競作で、2編が収められている。
この記事では後半の村上『冬の花火』のみレビューする。
日本のファンドマネージャーパイオニアで充実していたように思われた大垣が、モナコのホテルで突然自殺した。
翻訳家からステッキ商になった50代の「わたし」は知人である大垣に世話になっていて、生前彼とメールを交わす仲であった。
大垣は死の直前に「冬の花火だ」というメールを送信していた。
わたしは、ある体験をするなかでそのメッセージの真意を理解していく。
注意…『プレジデント』誌の読者層向けである
まず充実というものを考える上で、どの経済層向けか押さえておかねばならない。
金銭的に充実した5、60代のエグゼクティブなビジネスマン向けだ。
金はあるのが前提で金の重要性が今さら描かれることはないし、基本的に真面目な層なので村上作品に頻出するようなドラッグやセックス、変態プレイ、危険な恋愛は出てこない。
描かれるのが国内旅行というのもそういうのを象徴している。
充実した老後に必要なもの
基本的に物語の最初から「わたし」はかなり充実したほうだ。
金はあるし、熱中しているものはあるし、人間関係に問題はない。
しかしそのさらに上をいっていたと思われる大垣が自殺したことにより、生きていくために老後どうすればいいのか考えていくことになる。
層を限定した上で、金銭がじゅうぶんにあっても誰でも自殺に陥る可能性がある、という問題提起だ。
では死なないためには何か重要なのか、本文を元に見ていく。
健康と快適さ
まず当たり前のことだが、身体的健康と快適さだ。
身体的健康は言うまでもないが、快適さとは何か。
歯を例に上げよう。
歯を失っても入れ歯を入れればいいが、金がないとそもそも入れられないし、安いものでは不快さを伴うかもしれない。
一応食べることはできても、食の楽しさは半減するかもしれない。
病気という致命的イベントもあるが、より誰もが経験するのは歯や目、足の衰えだ。
これらは日常的な楽しみを半減させる憂鬱なものだが補助するツールを使えば快適に生活することができるし、日常的に使うそのツールに愛着が生まれる楽しみもあるかもしれない。
身体機能が衰えていくなかで、積極的な快適さをどれくらい望めるか、ということは重要だ。
金銭的余裕
健康と精神的な充実を支えるのが金だ。
最も基本的だが、それだけでは当然充実した生活を送ることはできない。
本文ではここには言わずもがなとして触れず、それ以上の充実について描写している。
社会的充実
社会的充実は、精神的充実とだいたい言い換えられる。
人間は精神のために?コミュニケーションを必要としている。
必要というか、コミュニケーションが目的に生きてるとも言えるかもしれない。
・日常的に近くにいる、信頼できる人間の存在
まず第一に同じ場所に暮らす家族ということになるだろうが、家族という関係に甘えれば非常事態で簡単に関係は変化してしまう。
お互いの自立、尊重、関係と信頼を維持するための継続的な努力、といったものが必要になる。
再現するのが最も難しい分、ほかの要素より多少比重が大きい気がする。
・熱中できることの存在
熱中するものがあり、その結果が誰かに認めてもらったり誇りに思えることが必要である。
やることがあることは精神衛生上もよい。
・外部とのつながり
閉鎖的な関係は腐敗する。
「わたし」におけるステッキのように、熱中するものと外部とのつながりが同じであれば最高だろうが、多くのビジネスマンは現役引退と同時に熱中するものと外部とのつながりの両方を失うのが現実である。